2010年6月23日水曜日

脱藩まで7日(コンテキスター)

そろそろコンテキスターについて語ろう。
と言っても、そんなに偉そうなことではない。
そろそろ長い間D社で培ってきた(?!)「上から目線」を修正せねば。

脱藩後の自分について、屋号と肩書きを持ちたいと思った。
そう思ったのは、またしても原田基風(ボブ)の影響だ。ボブをつうじて知った塩見直紀さんの考えに賛同した。

以下、塩見さんの著書「半農半Xという生き方実践編」から引用させていただく。

エックス、ミッションと屋号、肩書きはとても関係がある。(中略)
名乗る、名づけるということには、何かチカラが秘められているのではないだろうか。
自分は何屋なのか。これが言えないと、自分の夢を人に伝えられないし、誰も夢を応援してくれない。
私の場合は、幸運にも半農半Xというコンセプトを発見できたおかかげで、世界で一つのそのことばに「研究所」とつけたら屋号となった。そして、研究所には、私しかいないので、肩書きは半農半X研究所の「代表」である。世界で一つしかない研究所だから、競争がない。ストレスフリーなのである。
世界で一つしかない屋号をつける。肩書きを誰かにつけてもらうのではなく、自分でつけることは、とっても大事なことだ。

そうなのだ。広告屋的に言うならば「自分ブランディング」だ。自分にネーミングすることによりベクトルを定めるのだ。
ブランディングなら36年間で数限りなくやってきた。
ただし、クライアント作業はやってきたが自分のことはやったことがない。

しばらく悩んでいたときに、ふっとコンテキスターという言葉が浮かんできた。

コンテキスト(CONTEXT)というのは深い言葉だ。背景、世界観、関係性、織り方、そして文脈。
文夫の文脈だ。世の中の文脈を研究してなにごとかを為していく、そんなミッション・コミットメントをしたら面白そうだ。

文脈を繋ぐ者、コンテキストを繋ぐ者ならコンテキスターだ。
とりあえず、コンテキスターという肩書きを名乗ってみるか。そうなると屋号は「田中文脈研究所」ということになる。このへんの短絡感は僕をよく知る人なら分かってくれるだろう。

コンテキスターという言葉はまだ聞いたことがない。まともな英語ではないがイメージは伝わるだろう。
コネクターのようなイージーな感じがするところも僕らしい。

肩書きと屋号を決めると、確かに思考と志向は深まっていく。

文夫と文脈というゴロあわせはともかく、コンテキストという言葉は「情報大爆発」時代を生き抜くキーワードになりつつある。

世の中にはコンテンツがあふれかえっている。そのコンテンツとコンテンツを繋いで織りなしていくこと。
すなわちコンテキストを考察していくことで見えてくるものがあるはずだ、と確信する。

コンテンツとコンテンツを繋いでいくことは人と人を繋いでいくことにもなる。
コンテキスターには人間関係の縁脈を繋ぐミッションもあるのだ。

今、僕は縁脈という言葉が大好きで愛用させていただいている。人脈では生臭い、金脈とは縁がない。有機的に能動的に繋がる人間関係を表現するには縁脈という言葉がフィットする。

縁脈という言葉の出典は別のエントリーにしよう。

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