2010年8月24日火曜日

文脈日記(ロード・ツイッター)

脱藩して50日が経過した。相変わらず毎日が急激に過ぎていく。そう言うと、会社に行く必要がないのだから時間はありあまっているはずだ、という反論が返ってくる。

ところが、脱藩者の実態はちがう。会社というものに制約されない分、あれもやりたい、これもやりたい、という思いが錯綜する。文脈が整理整頓できず、意欲が空回りしていくうちに時間は経過していく。今までは会社を言い訳にして、どうせできないのだから、とさぼっていた事柄が「さっさとやれよ」と迫ってくる。早期退職したという義務感(?)もあるし。

年をとると物理的にも時間経過が早くなってきた、と感じる。18歳の時間と58歳の時間は、64Kのダイヤルアップと光ファイバーの差くらいにスピード感が違う。日々は飛んでいく。

これは一般的には、年寄りの方が体内時計が早く回るからだ、と考えられていた。ところが事実は、体内の新陳代謝速度が老化現象でゆっくりになるにつれて、自分の処理能力が世の中の動きについていけないのが原因らしい。これは福岡伸一さんの「動的平衡」からの受け売りですがね。

そうなのだ。問題は世の中の動きと自分の処理能力なのだ。いつまでも若いつもりでいても、僕の古びたCPUは情報大洪水に溺れそうなのだ。本来のタスクを達成するまえに、レンダリングで1日が終わってしまうのだ。

情報のタイムラインは容赦なく流れていく。そこに棹を差しても無駄だ。最近の僕は「情報循環説」を唱えている。タイムラインに逆らわず、自分のペースで情報処理をしていけば、自分にとって必要なことはきっと必ず届いてくる。ネットの大原則、性善説に基づく楽観論だ。それでいいのだ。

ツイッターのタイムラインも「情報循環説」を信じてからは気楽になった。TVのスイッチをONにするのとツイッターのタイムラインを見るのは同じアクションだ。その時点で流れてくる情報をなんとなくキャッチして、時間がなくなればOFFにすればよい。それでも広告代理店時代の癖として、一度見たCMは忘れない。同じようにタイムラインを流れる面白そうなつぶやきは一瞬でキャッチできている、そのはずだ。キャッチできなくても、そのうちまた循環するだろう。

デジタル・シニアのみそっかすとして、僕はツイッターのヘビーユーザになっている。デジタル・ネイティブに対抗する気はないので、マイペースで情報の循環を信じて、日々つぶやいている。しかもロードで。

この50日の僕は、けっこう旅に出ていることが多い。僕の愛車は脱藩以来、3500キロ以上の走行距離を記録している。坂出、松江、小豆島、龍神温泉、各地のロードで僕はつぶやき続けている。自称、ロード・ツイッターだ。

坂出は僕の生まれたところ。坂出の西にある丸亀高校はラスト・オキュパイド・チルドレンとしての僕が青春を置き忘れたところだ。松江には妻の実家がある。野津旅館という露天風呂があって料理のうまい宿だ。小豆島には誰も住んでいない家と土地がある。龍神温泉は鮎釣りのホームリバーだ。

ツイッターの本質はホームではなく、アウエイすなわちロードにある。移動しつつつぶやくのは古びたCPUにとっては少々荷が重いが、つぶやかないと「どうしてつぶやかないの」と気にかけてくれる人もいるので、中古の指を酷使してつぶやいている。しかも写真つきでつぶやくように努力している。iPhone4は強い味方になった。当然、個人情報は流したくないので風景写真が多くなる。最近は#myskyへの投稿を意識的にしている。空の上の住人である@myskyさんたちがリプライしてくれるのが楽しい。

ロード・ツイッターは、加速度的な時間の流れにおびえつつも空と雲を眺める癖がついてきた。先週の小豆島では、不思議で神秘的なサンセットに遭遇することができた。これも空を見上げる楽しさを教えてくれた@myskyさんのおかげだ。ありがとうございます。

小豆島、海に落ちる夕日と不思議なかたちの雲。

クラウド・ドラゴンと名づけたい。

夕日が海に光の道をつくる。

このクラウド・ドラゴンは撮影していて敬虔な気持ちになった。クラウドの可能性を信じつつ、ロード・ツイッターを続ける僕へのご褒美だったのだろうか。

そして、ロード・ツイッターは今晩からネパールへのロードに出る。リアルタイムのツイートは難しいかもしれないが、なんとかつぶやく努力はしましょう。

2010年8月10日火曜日

文脈日記(ラスト・オキュパイド・チルドレン)

脱藩した夏はまれに見る異常気象になっている。雨が降り続いたあとは猛暑が続いている。大阪は完全に熱帯モンスーン・エリアになってきた。

この気象は列島の川を痛めつけている。増水続きで鮎が大きくなる時間がない。鮎師はそれでも川に行く。追いが悪い、型が悪い。水が高い、水が低い。ぶつぶつ文句を言いながらも「川の杭になる」のは鮎師たちの宿命だ。

脱藩したからには条件のいい日を選択して、鮎釣りに行きたかった。事実、行っていることは行っているのだが、どうにも納得できない釣行が多い。

腕の問題もあるが、鮎釣りができる川のサステナビリティを真剣に考えるべき時期に来ているのだろう。そのことはまた宿題にしておく。

「鮎師たち」と書いているが、この職能集団は最近、高齢化が激しい。若い者がエントリーをしてこない。川を歩いているのは肩とか腰とかに問題を抱えた世代が圧倒的に多い。もちろん、いまだに日本を牽引していると言われている団塊世代も多い。

そして僕もそのひとりだ、と書いていけばとても素直なコンテキストになる。ところがそうはいかない。

僕は団塊世代ではない。いつも団塊世代といっしょに見られるが、実はそうではない。

58年の人生で、僕のコンテキスト(背後関係)にはいつも団塊世代がいた。それは事実だ。でも、僕はそのコンテキストには違和感を感じていた。

団塊世代の定義は、ウィキペディアによれば以下だ。

最も厳密で一般的な定義としては、1947年から1949年までの3年間に亘る第一次ベビーブームに出生した世代を指し、約800万人に上る。

僕は1952年3月13日生まれだ。定義的にも団塊ではない。

脱藩を考えていた頃、コンテキスターとしてコミュニケーションに関わる考察をしてみたいという思いが強くなっていた。そのとき、自分の世代を表現する言葉がほしくなった。昔から「団塊ぶら下がり世代」とか「団塊後拭き世代」とかいろいろな言葉を使ってきたのだが、どれもしっくり来ない。

あれこれ考えているうちに、ふっと浮かんできた言葉が「ラスト・オキュパイド・チルドレン」だ。

ラスト・オキュパイド・チルドレン、「最後の占領されていた子供たち」という意味だ。団塊世代に対するアンチテーゼのつもりなのだが。

1952年4月28日にサンフランシスコ講和条約が発効されるまで、日本はアメリカの占領国だった。敗戦からこの日の午後10時30分までに生まれたものたちは、占領下の子供たちである。その中核にいるのが、団塊世代だ。

実は、団塊より「占領下の子供」の方が格好いいと言い張っている1949年生まれの方がいる。「団塊パンチ1号」という雑誌の中で征木高司さんの文章を読んだとき、僕はこのワーディングに深く共感した。とはいえ、団塊世代に違和感を感じている僕が自分も「占領下の子供」だと主張することはしたくなかった。

ポイントはヨンニッパーだった。全共闘の末尾にくっついていた僕はこの日が「沖縄デー」であることを知っている。でも、そのヨンニッパーが1952年であったことは意識していなかった。

僕はヨンニッパーの直前に生まれたラスト・オキュパイド・チルドレンである。そこに団塊世代とは違う自分の立ち位置を求めたい。ラストに属する者にはものごとの始末をつける役目があるように思う。あまり大げさなことを言うつもりはないが、ラスト・オキュパイド・チルドレンもコンテキスターの研究課題だ。

鮎釣りの研究ばかりをしているわけにはいかない。65年目の敗戦記念日が近づいている今、このカテゴリーのエントリーをしておきたかった。

かつて占領国だったこの列島は、今も痛めつけられている。