2010年12月30日木曜日

文脈日記(疾風怒濤)

疾風怒濤の一年間だった。
2010年は自分の人生の中で大きな区切りになるだろう。

疾風怒濤、ドイツ語では「シュトルウム・ウント・ドランク」だ。
この言葉を覚えたのは18歳の頃、北杜夫の「ドクトルまんぼう青春記」を読んだときだった。

若いときに覚えたことは忘れない。
その後、シュトルウム・ウント・ドランクを重ねるうちに忘却の彼方に行ったことは多い。

最近では「固有名詞忘却シンドローム」がひどくなって、人とモノの名前がでてこない。
たとえば、その有名タレントの属性は全て覚えているのに、どうしても固有名詞だけが思い出せない。イライラしますね。
この現象には、海馬がどうしたこうしたという明確な原因があったはずだが、それも忘れてしまった。

と、ここまで書いているとき、次のツイートを発見した。

 協創LLP情報Producer@西口和雄 

本日13時より大人の隠れ家@西成BAR無心庵にて餅つき大会を致します。総勢30名を超える大賑わいで今年のうっといもんを振り払います~~~来年の飛躍のためにも西成の聖地にもちくいにこいっ♪

これは行かねば、ということで急いで西成まで行った。
ツイッターで繋がっていた皆さんとリアルに会い、餅を食べ、酒を飲んできた。

ということで、長い間がありつつ、エントリーを再開するなうだ。

そうである。僕の2010年はツイッターとともにあった。
今まさに、1000人の皆様にフォローされたところだ。ありがとうございます。

疾風怒濤の日々を記憶するのは難しい。
でも、twilogというツイッター記録アプリをひもとけば、僕の1年間が見えてくる。

今年の元旦には讃岐の志度にいた。瀬戸内海を望むペンションから初日の出を見ていた。


完全無欠の初日の出なう。
posted at 07:20:37



それから1年間、僕は日々のよしなしごとをつぶやき続けてきた。

もちろん、2010年は6月30日以前と以後で別世界だ。
脱藩したら横に拡がると宣言して、そのことが曲がりなりにも実現の方向に向かっているのは、ツイッターに助けられたからだ。

最近は、久しぶりに会った人でも近況報告をする必要がない。その人が僕のつぶやきを見てくれているとコミュニケーションは簡単だ。

そして、何度も言うが、脱藩生活は忙しいのだ。
自由というのは果てしなく続くタスクの中から自分の選択肢を選んでいく毎日だ。

頭の中には様々な文脈が渦巻いている。
そのもやもやはとりあえずつぶやいてみる。そうすれば、頭の中がすっきりしてくる。

しかし、つぶやき続けていても、まだ頭の中は整理しきれないときがある。

そんなときはGTD(Getting Things Done)の出番だ。
大学時代の友人が教えてくれたすてきなライフハックだ。
デビッド・アレンの新刊をamazonに発注したが、品不足なのか、なかなか届かない。


今、amazonで確認したら、新刊本は入荷待ちで古本が新刊本よりも高くなっている。
情報大洪水に溺れる生活者たちがGTDのテクニックを求めているのだろう。

GTDの基本は頭の中にある「気になること」をすべて受信箱に収集することだ。受信箱の処理をしてネクストアクションを決める。
そのプロセスを週次レビューで繰り返して、もの忘れの恐怖から解放されたとき人間の精神は目の前のタスクに集中できる。

と、口で言うのは簡単だが、なかなか実践は難しい。
たとえば、このエントリーを書こうと思っても次から次に新しい「気になること」が発生してくる。
そんなときにはGTDでアクションの最適化を図る。

GTDを始めていなかったら、僕は今日の協創餅つき大会には行かなかったかもしれない。割と融通が利かないところがあるので、このエントリーを書き続けるというアクションを選択しただろう。

でも、2010年の12月29日の午前10時30分という時点で、僕の取るべきアクションは西成に行って新しい出会いをすることだった。

縁脈を深化させることだった。

おかげで来年に向けて、またひとつ展望が開けてきた。

疾風怒濤の日々の羅針盤はツイッターとGTDだ。この2つのツールを使い続けることによって来年も前に行くことができそうだ。
コンテキスターを目指す僕にとって文脈の錯綜はいつものことだ。その錯綜を解きほぐして編みこんでくれるツールがあるのは頼もしい。

ただし、ツールはあくまでも手段であって目的ではないのですね。

航海していく目的地は自分で設定するしかない。年の終わりでも年の初めでも、それは簡単なことではない。というか、脱藩生活の目的地はまだ見えない。

羅針盤の指示に身を任せつつ、まだ見ぬ新大陸を目指す日々が来年も続きそうだ。

最後に僕の2010年を象徴する写真をアップしよう。


瀬戸内国際芸術祭で見たスゥ・ドーホーの作品だ。人と人の繋がりが海に向かって揺れていた。

縁脈のネットワークがあれば、その彼方には無限の時空が拡がる。