2011年2月28日月曜日

文脈日記(世の中のために働く)

僕を巡るコンテキストが急展開している。
「コミュニケーション・デザインのボランティアやります」というミッション・ステートメントが実現できそうになってきた。

脱藩するときに「これからは世の中のために働く」と言ったことがある。
普通に考えたら、こいつアホや、と一笑に付されるだけだろう。
実際にそうだった。というか、自分自身の中でも、そんなことできるわけないわな、と自嘲気味に言っていた言葉だった。

ところが、D社のT専務(当時)は、それいいやん、やりいや、とニコニコしながら僕の背中を押してくれた。

脱藩8日前のT専務宛メールを公開する。
世の中のために働けばいいやん。
小さなコミュニケーションを繋いでいけばいいやん。
早期退職を決心した私にとって、これ以上の激励はありません。
どこまでやりきれるかは分かりません。
でも、志は高く腰は低く、世の中と歩調を合わせつつ進んで行きたいと思います。
ときにはプロとして、世の中の半歩先を進むことも必要でしょうが、長い間、D社にいるとどうしても「上から目線」になりがちです。
そこは少しずつリハビリをしながら、前に進んで行きます。
デジタルという道具を使えば耳元でささやくコミュニケーション、ヨコにつながるコミュニケーションは簡単です。
ただ、ささやく言葉そのものは、どこまで行ってもアナログです。
人を動かすコンテンツは0か1かではなく、割り切れないコンテキストから生まれてくるのでしょうね。
私はコンテキスターとして縁脈を繋ぎながら、世の中のために働きながら、自分の新しいコンテンツにトライしていきます。
まず言葉ありき、だった。
この頃は脱藩生活に不安を抱いていた。周りからも「辞めてどうするねん?」と質問攻めにあっていた。
今、このメールを読み返してみると気負いばかりが先行していて照れくさい。
言っている理念は正しいが、現実にどうすればいいのかはさっぱり分からなかった。

だが、この1ヶ月間で「コンテキスター業務」というものが現実味を帯びてきた。

それはMERRY PROJECTを展開しているアート・ディレクター水谷孝次さんとの出会いが大きい。そしてその出会いをもたらしてくれた尊い縁脈のおかげだ。

2月の始め、僕はMERRY PROJECTに参画した。その模様はMERRY PROJECT公式サイトのコラムを見ていただきたい。「坂出のコンテキスター、フミメイ」が実名(?)で登場している。「海彦山彦空彦」というコンセプト・シートを水谷さんが採用してくれた。ありがとうございます。

このブログではMERRY PROJECTの詳細は書かない。今後のメリーな展開はTwitterとFacebookでフォローしてください。

このブログはあくまでも僕と僕の周辺を巡る文脈研究発表の場だ。
文脈研究家としては、以下、2冊の本のコンテキストを繋いでみたい。

「デザインが奇跡を起こす」水谷孝次 PHP研究所



「思考するカンパニー」熊野英介 幻冬舎


1951年3月14日生まれの水谷さんは「子供たちの笑顔は未来への希望です」をコンセプトにソーシャル・デザインとしてのMERRY PROJECTを世界中に拡散されている。

1956年3月17日生まれの熊野さんは「持続可能社会の心産業」を目指してカンパニー・デザインをされている。

そして1952年3月13日生まれの僕は「コミュニケーション・デザイン」のボランティアを目指している。お二人とはまったくレベルが違うので、お恥ずかしいのですが・・・

ここで本論に入る前に「コミュニケーション・デザイン」の話をしておこう。
広告業界で「デザイン」という言葉は、新聞広告やポスターのデザインというように「グラフィック・デザイン」の領域で狭い意味で使われてきた。
ところがマス広告だけではモノが売れなくなり、新しいやり方が必要になってきたときに「コミュニケーション・デザイン」という言葉が生まれた。
「設計」という意味合いを広義の「デザイン」と表現することにより深みが加わった。

僕がD社時代にした「コミュニケーション・デザイン」の定義は以下です。

その広告コミュニケーションに対する生活者の気持ちと動線をデザインする。

このあたりはさとなおの「明日の広告」を読んでください。

そして今、僕がささやかながらも始めた「コミュニケーション・デザイン」のボランティアはこういうふうに定義できるだろう。

その社会的コミュニケーションに対する参画者の意思と世の中を繋ぐストーリーをデザインする。
世の中で情報発信をされようとしている皆さんのコンテキストを整理してストーリー化するお手伝いをする。

この「ストーリー」という言葉の使い方は熊野さんの受け売りだ。
受け売りから本論に入ろう。

水谷さんの本からはパトス(情熱)をもらった。熊野さんの本からはロゴス(論理)をもらった。

活字中毒者としてさまざまな本を読んできたが、この2冊は本当にすばらしい。
そして、この2冊はコンテキストが繋がっている。

水谷さんは言う。

「僕が大人になったら、世の中を変えてやる」僕は三歳にして、すでにそんなことを考える早熟な子どもだった。

熊野さんは言う。

欲望の大量生産から利他的モデルへと移行する私たちの試みは、社会を変えていくこと、さらに歴史を変えていくことにつながっている。

水谷さんと熊野さんは世界を変えようとしている。

2011年2月6日、僕は水谷さんと出会った。その日は連合赤軍の永田洋子死刑囚が亡くなった日でもあった。

世界を変えたい、というスタートラインは同じだったはずなのに、限りない負のスパイラルに落ちこんでいったグループの終着点と新しい善で全なる縁脈の出発点が同じ日だった。

寒風の中、身体ひとつで子供たちの笑顔の傘を拡散していく水谷さんのパトスに引きずられて僕は行動をともにした。
高松から上山、小豆島へと水谷さんの後ろを追いかけていくうちに、僕の中に少しばかりの知恵熱がでてきたようだ。

子供たちの笑顔は未来への希望です。
世界はひとつ、ひとつの願い、そしてそれは平和です。
デザインで人を幸せにする。地球を幸せにする。
人を楽しませることこそ究極のデザインだ。
ソーシャル・デザインで世界を変える。
自分たちができることから世界を変えていこう。

「デザインが奇跡を起こす」の中にある水谷語録を頭にたたきこんでいるうちに、僕の中でささやかなストーリーができてきた。そして、そのストーリーは今、縁脈の中で活かされつつある。

ただし、パトスで行動した後には反動がくる。僕は昔からそうだった。
なぜ僕は会社を辞めたのにじたばたしているのだろう。これでいいのだろうか。36年間も働いてきたのだから、もう少しのんびりしてもいいはずだ。
釣りして畑して読書して料理して、定年退職者的悠々自適をしてもいいのに。

そんなとき「思考するカンパニー」に出会った。
熊野さんご本人とはまだお目にかかったことはないが。

僕は自分がなぜじたばたしているのかが分かった。
熊野さんの言葉はコペルニクス的転回を僕にもたらした。

事業家の私は性善説、性悪説ではなく「性弱説」を取る。人間は弱いから嘘もつくし、見栄も張る。しかし一方では自己犠牲の精神や「他人のため」という利他的な欲求ももっている

「利他的欲求」がキーワードだった。
どうやら僕は自分の利他的欲求にしたがい、関係性を新たな視点でデザインするために動き出したようだ。

人は「関係性」の中でしか生きられない。それが信頼という価値観に支えられた善循環の関係であれば最高だ。
僕はいつのまにか関係と信頼を巡る冒険に一歩を踏み出したのだ。
それが勇み足でないことをひたすら願う。

はるか昔、人類が「思考力」をサバイバルの戦略として選んだとき、自己犠牲と利他の欲求も本能に組み込まれたのだ、という熊野さんの説は深い。

また「世の中のためにはたらく」と僕が妄想を言ったことの意味も、この本で明快になった。そのまま引用させていただこう。

そこには「精神的満足の利益」がある。「こんなことをしたら喜ばれるのではないか?」と参画欲求をもってかかわり、「素晴らしい」と肯定された瞬間に参画欲求が満足する。そこに最大の利益があるという感覚。自分がいる意味があったという、こうした仕組みを広げていきたいと思う。

さらに「世の中のために」と言った瞬間に発生する「あほか?」感についても
熊野さんは喝破されている。

利他的モデル構築を進めたい。そのうえで一番のジレンマは、利他的モデルという言葉がなかなか通じないことである。あなたは「人のためにいいことをして儲けよう」という人間の言葉を信じることができないだろう。たぶん、うさんくさく思うだろう。利他的モデルというのは、そこが難しい。
利己を追求したら、やはり「自分のために人に何かをしたい」という欲求に行き着く。
そこには、「孤独にはなりたくない」という利己的理由があり、結果としては利他の価値観を追求しなければならない。人間としてごく自然のことなのだが、「人のために生きる」と言った瞬間に、今の時代、非常に偽善的に聞こえてしまう。「自分のために人を助ける」と言った瞬間、なんだかいやな人間に見えてしまう。利益に対する間違った偏見と企業活動に対する偏見が、真実を曇らせている。

「デザインが奇跡を起こす」で行動を起こして「思考するカンパニー」で理論武装した僕はしばらくこのまま前に進もうと思う。

「世の中のために働く」にうさんくささはないのだ。
儚くて脆い利他的欲求を顕在化して価値観を共有するためにソーシャル・ネットワークが存在する。その使い方にもようやく慣れてきた。
東の方で、いみじくもつぶやかれたようにSNSを使えばコミュニケーション・コストはフリーなのだ。

僕は文脈を接続してストーリーをつくるコンテキスター業務を継続していこう。
ひたすら誠実な凡人として、志は高く腰は低く。

そして笑顔を忘れずに。

水谷さんと熊野さんの笑顔に対する考え方は通底していた。

「デザインが奇跡を起こす」P238

「水谷さんにとって、MERRYとは何ですか?」
ときどき、そう聞かれる。僕はこう答えている。
「和顔愛語」
仏陀が2500年前に言った言葉だ。何もあげる物がないなら、あなたが笑顔と優しい言葉をあげなさい。そうしたらあなたにも笑顔と優しい言葉が返ってきますよ、と。

「思考するカンパニー」P74

ちなみに人間だけが笑うといわれる。生まれたばかりの赤ん坊は最初に笑う。ひ弱に産まれ、人から愛してもらわなければ生き残れないのが人間だからだろう。ブッダは「人は、何ももたない赤ん坊でもほほ笑みを人に与える。これを願施という」といった。

やはり笑顔は究極のコミュニケーション・デザインだったのですね、水谷さん。
利他的モデルの組織体は同じ価値観で繋がっていますね、熊野さん。

2011年2月28日現在、世界は激動している。
世界は同時多発善で動いているような気がしてきた。
チュニジアでエジプトでリビアで起こったソーシャル革命は、この列島にも確実に広がりつつあるのかもしれない。

地球の東の果てにある離島では「新」から「心」への改革が必要とされているのだろう。

さてと、僕はぼちぼちと僕のできることからやっていこう。

ここまで書いたら、アンガージュマン(engagement)という1968年頃に流行っていた哲学=政治用語を思い出した。

LOC(Last Occupied Children) としてアンガージュマンするのは今だ。