2011年11月20日日曜日

文脈日記(村楽ブランドことはじめ)


そして1年が終わろうとしている。
来年は辰年だ。つまり僕たち、ラスト・オキュパイド・チルドレン(LOC)は還暦を迎える。

1952年(昭和27年)、日米講和条約が締結される直前に生まれた「最後の占領された子供たち」が5回目の年男になるわけだ。
それは辰の落とし子が龍になる最後のチャンスかもしれない。
今、来日している国民総幸福の国、ブータンのワンチュク国王はフクシマを訪れてこう言った。

人の中には龍がいる。その龍は自分の内なる人格だ。
龍は経験を食べて育っていく。年を経るごとに龍は大きくなる。
みんな、自分の龍をコントロールすることが大切だ。

占領下の落とし子たちは、来年、還暦LOCドラゴンを制御しつつ世の中のために働きつづけることができるだろうか。

What’s Going On?
辰年がどうなっていくのかは分からない。
でも僕は僕のコンテキストを粛々と繋いでいくしかないのだろう。
村楽LLP、協創LLP、NPO法人英田上山棚田団のコンテキスターとして僕の龍が食べてきた経験を提供していこう。

村楽LLPは新しい展開を始めている。
農を超える農を展開する百商として村楽プロダクトのブランド化を開始した。



MERRY RICE、メリーライス。
メリープロジェクトのご協力で英田上山棚田米のマスコットパックをブランド化して販売することができた。

同志たちが丹精こめて育てたお米の周辺には限りない付加価値がある。
そのストーリーをまとって、僕たちのお米はメリーライスとなる。
7月の文脈日記、「自分のための百姓学」の後半に書いた「農を超える農」のメリーライスが今、現実に目の前にあるのは感動的な光景だ。
コンテキスターの妄想が、ずっしりと存在感のあるミニ米袋になっている。


メリーライスの製造から販売までには多くの仲間たちの力が結集されている。
上山棚田で水路掃除から畦塗り、田植えから草取り、稲刈りからはぜ干し、と汗を流した英田上山棚田団のエッセンスが、このマスコットパックには詰まっている。
そしてメリープロジェクトを推進している水谷孝次さんとバランスのいい米袋のデザインに注力してくれた柄本綾子さんの愛が詰まっている。
電光石火の早業でネット販売サイトを制作してくれた協創LLPの山ちゃんにも感謝だ。

どうか、このメリーライスの周辺価値を認めていただきたい。
この列島の農が農を超えて「超農力」を発揮するために。
そして子供たちの笑顔が未来永劫続くために。




地域おこし協力隊全国連合である「村楽LLP」のプロダクトをブランド化する方法論は、11月12日に美作市で開催された「村楽ガチ討論会」でも検討されている。
「デザイン×農業ブランディング」の分科会に参加した美作市地域おこし協力隊のかっちは言う。

村楽は全国に同志がいる。ということは日本列島の「旬」をブランド化することが可能なはずだ。地域差を文化としてブランド化する道はないだろうか。

村楽は地宝の塊だ。地方には地域の宝が詰まっている。
地宝は山彦と海彦の産物であり、後継者を求めている匠たちの知恵だ。
食べもの、工芸品、アート、技、そして生きる方法論そのものが地宝なのだ。

北から南まで長い列島には「旬」がある。「なう」がある。「旬」が連なる文脈がある。
311でずたずたに切断された「旬」の文脈を村楽としてブランド化していくこと。

そうすれば「旬」は季節の産物という意味合いを超えて「今を生きる」という付加価値を持つことができるかもしれない。

具体的にどう展開していけばいいのかはまだ分からない。コンテキスターひとりの力では無理だ。

だが、急がなくてはならない。うたかたのように消えようとしている地宝も多いはずだ。
映画「森聞き」に登場したカルコ登りの名人、杉本充さんの「これで終わりやな」という淋しそうな表情が忘れられない。杉本さんは吉野川上流、川上村の鮎釣り終焉も経験されている。

杉本充さん


「旬」をブランド化していくこと。そしてそのブランド・コミュニケーションをデザインしていくこと。
そのための基本的な方法論なら、僕の経験値で提供できそうだ。

まずは村楽ブランドの確立だ。「旬」ブランドの傘となるものを構築していく必要がある。これは傘だけにメリープロジェクト、笑顔の傘の力をまたお借りするかもしれない。

「村楽という生き方」に「旬」=「今をメリーに生きる」という付加価値を加えてブランド・ストーリーを展開してみたい。

傘=親ブランドができたら各地域の「今そこにあること」=事実(ファクト)の確認だ。
全国で「旬」ブランドの種を探していく。

メリーライスの場合は「英田上山棚田」というファクトがそこにあった。ファクトはブランドの種だ。

北海道平取町のトマト、二風谷のアイヌ産物、阿智村の清内路かぼちゃ、雲南市のホンモロコ、西粟倉の和紙、日名倉の山女魚、上北山村の虫おくり、大町の地酒、馬路村のゆず、鹿児島硫黄島の海岸露天風呂、全国の鹿肉などなど、すべての天地有情が村楽の子ブランドになる可能性を持っている。

清内路かぼちゃ


とここまでクリエーティブ・ディレクターが企画意図を書いて、営業がクライアントを見つけてくれば、あとはプロダクションのスタッフがなんとかしてくれるのが大手広告代理店の世界だった。

ところがコンテキスターの世界はちがう。
還暦LOCドラゴンの妄想が現実化するためには、村楽LLPメンバーである《自立した個の群れ》たちが知恵の物々交換をして、自分たちの力でものごとを前に進めていく必要がある。

僕たちには金融資本はない。でも豊かな自然資本と信頼資本はある。
同志の知恵がある。連帯がある。
そして知恵と連帯を拡散するソーシャルメディアがある。

自分がやりたいことをまず自分で突き詰めて、それを持続する志を持てば、「オモロイ」は「カタチ」になっていく。

小さな住民代理店は足腰の弱った内なる龍を叱咤激励しながら、そのお手伝いをしていこう。

2011年11月3日木曜日

里山研究庵 Nomad

ここのところ、また縁脈が拡がりつつある。
時代が新しい流れを切に求めているから、その流れが大きな河になりつつあるのかもしれない。

その潮流の中で、現在、台湾ロングステイ中の半農半X研究所/塩見直紀さんから、素晴らしいDVDをお借りした。

「四季・遊牧~ツェルゲルの人々」
ダイジェスト版(前・後編 2枚組 各1時間40分)
監督・撮影:小貫雅男
編集:伊藤恵子
発売元:里山研究庵 Nomad


1992年の秋から1年間、草原と遊牧の国、モンゴルで「地域おこし」を模索するツェルゲル村に住み込んで撮影された貴重な映像だ。

1989年にはベルリンの壁が崩壊している。その3年後、この地域社会にも旧体制からの脱却を志す動きが加速していた。
国と地域、管理と自立、という対立構造はイデオロギーを問わずこの星の緊急課題になっているようだ。

社会主義集団経営「ネグデル」から遊牧民協同組合「ホルショー」へ。
草原で太陽のリズムと山羊の生理とともに生きているノマドたちのトライアルが、小貫監督と伊藤女史の素朴な語りで綴られていく。

映像は荒削りながら、充分にモンゴルの叙情をとらえている。
だが、この映像のすばらしさは、自立を目指すストーリーを描ききった叙事にある。

そして、その叙事を語る伊藤女史も最初はチェルゲル村民から「わかもの、ばかもの、よそもの」扱いを受けていたのかもしれない。
しかしながら、この映像スタッフたちは大地と生きる村民に行動と意識をチューニングすることにより、見事なエンド・ロールを生み出した。

それがどんな「国家」であろうとも
この「地域」の願いを
圧し潰すことはできない。 
歴史がどんなに人間の思考を
顛倒(てんとう)させようとも
人々の思いを
圧し潰すことはできない。 
人が大地に生きる限り。 
春の日差しが
人々の思いが
やがて根雪を溶かし
「地域」の一つ一つが花開き
この地球を覆い尽くすとき
世界はかわる。 
人が大地に生きる限り。

この叙事詩は、この列島の「村楽」にもそのまま当てはまりそうだ。

原作の映像は三部作全6巻で7時間40分あるという。
このダイジェスト版は3時間20分だが、時間を忘れて見てしまう吸引力を持っている。

さて近いうちに里山研究庵 Nomad を訪問せねば。


《以下は2011729日に、フェースブックに書いた同じスタッフの本に関するノートです。
こちらにも再掲載しておきます


「菜園家族・山の学校」小貫雅男・伊藤恵子



またひとつ、すごいコンテキストに出会った。
「菜園家族・山の学校」

主宰、小貫雅男さんと研究員、伊藤恵子さんの共著だ。
とても薄いブックレットだが、コンテンツは詰まっている。
半農半X研究所の主任研究員、ボブ基風からもらった。

ニワカ百姓の僕は、今、身体を動かしつつ、共同体と地域と農に関する理論武装をしている。
「農を越える農」とは何か。「村楽」と「町楽」はいかにして連帯するか。
コンテキスターの課題は多い。
すべての文脈は通底しているはずだ。

里山研究庵は滋賀県、琵琶湖東岸に注ぎこむ犬上川の上流にある。
犬上川は30歳のとき、僕が始めてアマゴを釣った川だ。この水系にはよく通った。

「菜園家族・山の学校」は廃校になった保育園をベースにしているという。
くわしい内容は、WEBサイトにアクセスしてほしい。
このブックレットも販売している。

僕がこのノートで言いたいのは、「理論」と「実践」だ。
マルクス=エンゲルスは「共産党宣言」という薄っぺらい本でマルキシズムの理論を構築した。それは素晴らしい脚本だった。しかしながらその脚本を正しく演じる舞台も役者も監督も、結局のところ、この星には現れなかった。

というようなことを、かつて東ヨーロッパ上空を飛行しているときに、ある映像監督から示唆されたことがある。

小貫さんも同趣旨のことを言っている。

19世紀「社会主義」理論は、生産手段を社会的な規模で共同所有することによって、資本主義の矛盾を克服しようとします。 
しかし、20世紀に入ると、その実践課程において、人々を解放するどころか、かえって「個」と自由は抑圧され、「共生」が強制され、独裁強権的な中央集権化の道を辿ることになりました。
人類の壮大な理想への実験は、結局、挫折に終わったのです。そして、いまだにその挫折の本当の原因を突き止めることができず、新たなる未来社会論を見出せないまま、人類は今、海図なき時代に生きているのです。

小貫さんが里山研究庵で構築しようとしているのは、大量生産・大量消費の時代に終止符を打つ理論らしい。
自然循環型共生社会を経て、人類究極の夢である高度自然社会へと至る道を模索している、という。

311以降、その舌鋒は鋭くなっているのがWEBサイト上で見てとれる。
その実践のカタチがどうなっているのかは、犬上川に行ってみるのが一番早いだろう。

理論=コンテキスト=ストーリーと実践=経験=現場の両輪が噛み合っていけば、この国は確実に変わっていく。

国破れて山河なし どっこい菜園家族は生きてゆく