2012年10月31日水曜日

文脈日記(住民代理店BOB中四国担当)

おやまあ、今年もおしまいではないか。
皆さんよいお年を。
などと気が早いことを言っている場合ではない。
まだまだ行きたいところがあるし、やりたいことがある。
そのためにも、たまには立ち止まって自分の立ち位置を俯瞰してみることが必要なのです。

「決めたらやる」と思いこまないで、残りの人生のバランスをクールに考えるのが死ぬ瞬間まで勇ましく生きるコツなのだ、と昨日ある人に言われた。

ということで、自分への視線をちょっとロングショットにしようと思う。

そんな今日この頃、新しい辞令をもらった。

住民代理店BOB中四国担当、というものだ。
また何か訳の分からないことを言って煙に巻こうとしているな、とお思いの方も多いだろう。
お察しのとおり、物理的に実在している組織ではない。
しかしながら広告代理店脱藩の先達である原田基風の頭の中には20年前からある組織なのだ。

広告代理店はクライアントのために情報発信を含む利益向上活動の代理をする。
住民代理店は地域住民のために情報発信を含む信頼向上活動の代理をする。

残念ながら、電通という広告代理店では利益にならないことは原則としてしないので、先達の構想は一顧だにされなかったらしい。

そこにおちょこちょいな追随者(筆者注、僕のこと)が現れて先達の残り火に風と空気を送った。
BOBという屋号はもちろん彼のニックネームであるボブによっている。
さらに Break Occupied Barrier でもあるという。
こちらは僕が打ち出したLast Occupied Children(最後の占領された子供たち)という概念にインスパイアされたものだ。
「バリアーなんて吹っ飛ばせ」てな勢いである。

また米国における革命的クリエーティブ・エージェンシーであるDDBのイメージとも重なる。元来、代理店という正体不明の組織は略号が好きなのだ。

その住民代理店の話をなぜ今しているのかといえば、相変わらずあちらこちらでたくさんの人に初めて会う生活をしているのだが、自分の立ち位置を説明するのが難しいこともあるからだ。

フェースブックですでに繋がっている人とは、初対面でも初めて会った気がしないので問題ない、と今までは思っていた。ところがそうでもないらしい。

どうやら僕は謎の人みたいなのだ。

謎その1.どうやって生活しているのか謎だ。
謎その2.どんな組織に所属しているか謎だ。
謎その3.どこに住んでいるのか謎だ。
謎その4.田中文脈研究所・コンテキスターというのが謎だ。

はい、あらためて自己紹介します。
半農半X研究所の塩見直紀さんが言うとおり「自己紹介は世界を救う」のだから。

僕は年金生活者です。すでに還暦を過ぎて年金の一部をもらえる身分になっています。申し訳ない気がするので、なんとか「世の中のために働く」所存でございます。

電通の先輩で潔く年金生活者になったIさんは、今、自分は「中等遊民」だという。
この先輩は新入社員時に僕を導いてくれた恩人だ。野坂昭如の「365日酔如泥」をモットーにしていっしょに浅川マキを聞きながら呑んだくれていた。

遊び人というよりも「遊民」という方が圧倒的に響きがいい。
しかも中等という語感があたっている。彼の生き方はまさに中等遊民だ。
瀬戸内海に臨む某所に別荘をかまえ、大阪とそこを行き来する生活をしている。メールもインターネットも必要性を感じないので使わないそうだ。ときどき好きな音楽家のイベントをプロデュースしている。

僕も生活ベースで言えば同じく「中等遊民」なのだが、遊民というにはほど遠い生活をしている。
いつも時間に追われている気がするし頭の中は妄想でいっぱいだ。

また、今、僕におつきあいをいただいているような皆さんに「中等遊民ですわ、がははは」という自己紹介をしたら、変な顔をされるだろう。

そうなると、やはり一番分かりやすいのは、どんな組織に所属しているのか、という説明になる。

NPO法人英田上山棚田団
協創LLP(有限責任事業組合)
村楽LLP

これが現在の僕の所属組織だ。これらの文脈はストレートに繋がっているしコアメンバーも重なっている。ただし、最前線に立っているのは上山棚田団なのでこんな名刺をつくった。

所属組織と言っても社則とか団則に縛られているわけではまったくない。そういうタテ型組織の良いところと悪いところは36年間たっぷりと見てきたので、もうよろしいわ、というのが本音だ。

組織に所属しているという視点で自己紹介をしたら安心感があるのは確からしい。
でも所属というのはちょっと違うな。共感連帯している組織とでも言うのかな。
もちろんそれぞれ出資はしていますよ。

棚田団での職能は「信頼責任者」としている。これは勝手に名乗っているわけではない。
信頼資本財団という「自然資本と社会関係資本の向上につながる事業に対して無利子・無担保で融資をする」財団から融資を受けた時点での職能だ。

信頼責任者という大きな言葉が僕は大好きで、融資が終了しても名乗らせていただいている。
すみませんがご了承ください、と誰にともなくつぶやいてみる。
上層部の決済が必要なわけでもないのだが。
そもそも棚田団に上層部というものは存在しない。
僕が長老部であることは事実だが(笑w)。

信頼責任者の職能は信頼資本財団によれば「融資対象事業を支援、協働する人」とある。

その《志縁》の仕方はいろいろあるだろう。
僕の場合は「上山棚田団のコミュニケーション・デザインをする」ことを得意技としている。

もちろん一作業員として協働することもあるのだが、そこはそれ、長老部なので力及ばぬことの方が多い。



協創LLPでも基本スタンスは「信頼コミュニケーション」を担務しているつもりだ。
村楽LLPは地域おこし協力隊の協力隊というスタンスかな。

というわけで、決して地域おこしコンサルの会社に所属しているわけではないのです。



今日この頃はこういう実在する組織をあれこれ説明しながら自分の立ち位置を言うよりもバーチャルな住民代理店所属という方がフィットする気もしてきた。

なので新しい辞令はウェルカムなのだ。

住民代理店での僕の職能はもちろんクリエーティブ・ディレクターだ。
言い出しっぺのボブは経営責任者兼営業兼媒体担当だ。

ちなみに、クリエーティブ・ディレクターというのは国家資格でもなんでもないので誰でも名乗れるのですが。

次の謎にいってみよう。

僕の現住所は大阪府箕面市です。山の神(妻のこと)と住んでいます。老犬メイもまだ元気に歩いています。
香川県坂出市に父方の実家があります。
香川県小豆郡土庄町に母方の実家があります。海明庵としてリノベーションなう、です。
島根県松江市野津旅館が山の神の実家で、行けば歓迎してもらえます、と本人は思っています。

このあたりをウロウロしながらあれこれつぶやいているので、住所不定に思われるのだろうな。
しかも棚田団ベースの岡山県美作市上山は箕面よりも坂出や小豆島に近い。そのため上山への行き帰りにはそちらに寄ることが多いし。

さらには、勝手にアヤベイストと名乗りはじめた。
京都府綾部市は原田ボブの母方の実家があり半農半Xの聖地だ。

また夏にはライフワーク(?!)の鮎釣りのために綺麗な川方面にいることも頻繁にある。
困ったもんだ。

こういう生息地域を徘徊しているので、住民代理店中四国担当という辞令が出たのだろうな。

えっ、綾部は中四国ではないって?
いいじゃないですか、中四国右隣ということで。どうせ僕は方向音痴のコンテキスターなのだから。



ということで最後の謎、コンテキスターです。

これまで当研究所の拙文を読んでくれた人には、田中文脈研究所が物理的には実在しない組織だと言うことがもうお分かりでしょう。

田中文脈研究所は住民代理店に附属するバーチャルな研究所である。

ということに、今この瞬間、気がついた。
代理店には何とか総研というのが附属していることが多いし。    

住民代理店のクリエーティブ担当、そして駆け出しの文脈家(コンテキスター)として現場で見たこと聞いたことを総合的に研究レポートにしているのが田中文脈研究所だったのか、と僕は納得してしまった。

自分だけ納得していたら自己紹介にはならない。実はこのエントリーは「綾部型情報発信に関する研究会」のフライヤーを横目で見ながら書いているのだが。



どうしても元電通クリエーティブ・ディレクターの方に目が行ってしまう(笑w)。
仕方ないか、知名度とキャリア年数がまったくちがうし。
実際にまだクリエーティブ・ディレクターみたいなことを時々しているし。




住民代理店というのは広告代理店の概念が昇華されたものだ。
住民に寄り添うためには広告屋よりも、もっともっと「腰は低く志は高く」を徹底しなければ業務を遂行できない。

なにしろ金はない、上意下達のシステムはない、協力プロダクションもないのだから。

それでも利他的欲求は人間が一生持ち続ける本能なのだから、この道を目指して人生のバランスを取るしかない、というのが自分の立ち位置の結論らしい。

住民代理店BOBの中でも中四国担当になったのは誇らしいことだ。
この地域の中山間地から日本列島が変わっていく予兆はある。大手の総研は誰もそんなこを言わないが、見える人には見えているはずだ。



ところで僕の住民票のある箕面は住民代理店の営業範囲に入っていない。

箕面は山の神の神域なので、新規の代理店は参入できないのですね。
なにしろ30年間以上も家のことはほとんどすべてを山の神にまかせっぱなしで、僕は外に出ていたのだから。

家関係のことでは、山の神に毎日、叱られてばかりだ。そんな場合は平伏して怒りが通り過ぎるのを待つしかない。

共同幻想(世の中)と対幻想(家族)は相容れないところがある、と最後に小難しいことを言って僕は自己幻想に逃げこもう。

あっ、その前に上山集楽棚田米を食べて明日も元気に外に出て行くためのエネルギーを補給せねば。
この新米は山の神の伯母が「こんなおいしいお米は今まで食べたことがない」と感激してくれた。
彼女は満州から朝鮮半島経由で引き揚げてきた御年100歳の乙女だ。

こんなすごいお米がボーナス代わりに手に入るから住民代理店はやめられない。




2012年10月19日金曜日

祝!地方出版文化功労賞・奨励賞、「愛だ!上山棚田団」

明日は鳥取県立図書館に行く。
「ブックインとっとり第25回地方出版文化功労賞」の奨励賞に「愛だ!上山棚田団~限界集落なんて言わせない!」(協創LLP出版プロジェクト編著/吉備人出版)が選ばれたのだ。

その表彰式がいよいよ明日。

どこにでもわいわいがやがや押しかけるNPO法人英田上山棚田団のメンバー、明日は鳥取方面に出現します。

上山棚田団の精鋭がクラウド・エディティングで完成させた受賞作に関しては明日の表彰式で、原田ボブ編集長が入魂のスピーチをしてくれる。
この本が去年の6月25日に世に出たことによって、上山棚田団の志は燎原の火のごとくこの列島に拡がっていった。その事実を同志たちといっしょに明日、再確認できるのは嬉しい限りだ。

鳥取県にはスタバはないけどスナバがある、と知事が豪語するらしいユニークな県では全国の地方出版物の祭典が「ブックインとっとり」として毎年、行われている。
1988年からなんと今年で25回目。まさに「継続は力なり」で、東京の大出版社に偏りがちな出版業界に対して地宝から風穴を開けようとしている。

明日の懇親会の予習として「ブックインとっとり」の過去の受賞作を見ていたら、見覚えのあるタイトルがあった。
1994年第7回地方出版文化功労賞は「納棺夫日記」青木新門著/桂書房(富山)だった。




「納棺夫日記」。この写真は文春文庫の増補改訂版だが。

この本は電通時代に仕事をしたアートディレクターから今世紀はじめに直筆手紙付きでいただいていた。彼は青木さんの言霊にいたく感動してどうしても僕に読ませたい、と送ってきてくれたのだった。

そのことは記憶の片隅で埃をかぶっていたのだが、映画「おくりびと」を見て鮮烈にこの本のことが蘇ってきた。
そしてこの映画の原作として、なぜ「納棺夫日記」がでてこないのかという疑問をもって文脈を調べた覚えがある。それが2008年のことだった。
それから「納棺夫日記」はまた本棚の奥にしまいこまれていた。

そして、不思議なことに今日また、この本が僕を呼んだ。
これが、上山棚田団がいうところの「縁脈炸裂」なのだろう。

地方出版文化功労賞ははっきり言って地味な賞だろう。しかしながら、1993年に富山市郊外の小さな出版社から世に出され、1994年には地方出版文化功労賞を受賞した「納棺夫日記」がその後にたどった軌跡をトレースしていると感慨深いものがある。

1996年に文春文庫になり、本木雅弘がこの本を手にしたときから映画「おくりびと」は約束されていたのだ。
今、僕の手元にある色あせた文庫本をひもといてみると、青木新門さんのこんな思いが綴られていた。
『納棺夫日記』が地方出版文化功労賞を受けることになった。鳥取の今井書店の永井社長が提唱して七年前に生まれた賞で、地方の出版社から出された出版物に与えられるのだという。そんな賞があることも知らなかったが、誠実そうな賞のように思え、快く受けることにした。その授賞式に出席するため、富山から電車で鳥取に向かった。八時間も電車に乗っていた。車窓には、北陸・山陰の秋が流れていた。ぼんやりと景色を見ているうちに、頻繁に眼に入る原色の黄色が気になった。セイタカアワダチソウの群生だった。私のイメージにある日本の秋は、ススキやアシの穂が白く光る透明な風景であった。しかし今気づくと、アメリカから帰化したセイタカアワダチソウが、日本の秋を黄色く変えていた。この北アメリカ原産の草は、種子でも繁殖するらしいが、それより根が地中を縦横に走り、しかもそこから他の植物が育つのに害になる物質を分泌しながら、自分の勢力範囲を拡大してゆくのだそうである。なんとなく好きになれない草だなと思った。そして、戦後アメリカからわが国に入って根づいた思想や思考のことを思っていた。(P194、以下略)
明日、ボブ編集長を含めた僕たち棚田団年長組は大阪から車で鳥取に向かう。西粟倉経由で行く道沿いはやはりセイタカアワダチソウが黄色い絨毯をかたちづくっているだろう。

戦後アメリカから入ってきた大量生産、大量消費の思考に包囲されてぬくぬくと育ったボブ編集長と僕は、上山棚田団と出会うことによってまったく別世界にワープしつつある。

その世界ではどうやらセイタカワダチソウは駆逐されつつあるようだ。
否。駆逐という言葉では生易しすぎる。
上山棚田団が火をつけて焼きつくそうとしている。
下から火をつける上山野焼きの凄まじさを見た人には、これがメタファーではないことが分かるだろう。

「愛だ!上山棚田団」が上梓された時点から情況はさらに深化している。
今や上山は集楽となり、この列島を個人から変革する力の集積地になりつつある。

先週はふつうの人のために江戸時代に創建された閑谷学校に伊勢谷友介を招いて大イベントを成功させた。
そして10月24日にはRSK山陽放送で「地域スペシャル・メッセージ」として上山集楽特番が放送される。さらには報道ステーションの取材も入るという。

「ひとりぼっちのボブ」が向かい風を受けとめ、雲(クラウド)の上で編集して世の中に送り出した一冊の本が大きなうねりの起点になろうとしている。

この賞を受賞した「納棺夫日記」の軌跡を見ていると、また明日から上山棚田団の善循環は一段高い雲に寄り添うことになる予感がする。

ひとりぼっちではなくなって、「君あり、故に我あり」という言葉をモットーとするようになったボブ編集長。

盟友が編んだ本がこのような賞を受賞したことを心から祝福したい。