2013年4月27日土曜日

文脈日記(ヨンニッパーとLOC)


明日は2013年4月28日だ。
1952年のこの日、サンフランシスコ講和条約が発効された。
そして僕は1952年3月13日に生まれている。
その約一ヶ月後、日本がアメリカの占領国ではなくなった。

僕は「最後の占領された子供たち」である。
ラスト・オキュパイド・チルドレン、Last Occupied Children、LOCという世代論は僕の脱藩後の生き型の基準になっている。

最後の人には後片づけをする義務がある。義務を果たしてこそ新しく発言する権利が生じる。で、何を後片付けするのか?と質問されたら、LOCよりも前の団塊世代がとっちらかしたこと、と言うしかない。

義務と権利、などという堅苦しい用語を使っているのは、世の中が憲法改正論議で、なんだか妙なことになっているからだ。

憲法の話の前に、ヨンニッパーだった。
2013年4月28日は「主権回復の日」になるらしい。言いたい放題の安倍晋三首相が衆院選での政策集を実行するということだ。

僕にとって4月28日はヨンニッパーとして記憶されている。
いや、僕にとってというよりもLOCの少し前に張り切っていた団塊世代にとっては、ヨンニッパーとして記憶されているはずだ、と僕は信じたい。
なぜ彼らはヨンニッパーについて発言しないのだろうか。

LOCは団塊世代とジェネレーション・ギャップがある。生まれたのはわずか3年の差であるが、考え方の違いがある。
彼らは「損か得かの競争原理」で動くことが多いから、今、安倍政権のやることにモノ申すと「損をする」とでも思っているのだろうか。

ヨンニッパーは「沖縄デー」。
1970年4月28日に僕は東京のどこかの公園ではじめてのデモに参加していたはずだ。香川県の丸亀という町の高校を卒業して早稲田大学に入ったばかりの僕は「ベ平連」の隊列に入っていたと思う。
「ベ平連」とは「ベトナムに平和を!市民連合」のことだ。この時代の社会運動のことを語るのは大変だ。なにしろ今となっては死語が多い。とにかくヨンニッパーというのは歴史的には沖縄と深く関わっている日だ。

1952年のヨンニッパーに日本国から切り離されて占領状態が続いていた沖縄は1972年の5月15日に返還された。つまり沖縄では「主権回復の日」から20年、主権は回復していなかったのだ。
70年前後のデモでは「安保粉砕、沖縄解放」というスローガンが発せられていた。もう忘れられたみたいだが。
ほんとにこの列島の大人たちは忘却術に長けている。謀略術よりはましなのだろうが。

安倍政権はヨンニッパーを「主権回復の日」にして沖縄の「屈辱の日」をチャラにしようとしている。それはないでしょう、とLOCは思う。
占領の後片付けをするときに一番、大切なことは何か、と問われたら僕は「歴史を正しく認識することだ」と答えよう。

ヨンニッパーに主権回復式典をして5月3日の憲法記念日には「憲法改正」を声高に話すというのが安倍政権の政治スケジュールなのだろうね。

という風に政治的文脈を書いていくことは僕にとって、とても抵抗がある。できればこんなことは書きたくない。10ヶ月前に僕はこんなブログ記事を書いている。
僕は政治的文脈で発言したくない。コンテキスターは文学的文化的文脈で列島の復興に向かって声を上げていきたい。そして、それは地に足をつけたものでありたい。天地有情に寄り添って口より土を大切にしていくこと。
脱原発のデモや集会に行くことも声の上げ方のひとつだと思う。ただし今現在の僕はデモに行く気はない。1970年のあの敗北感がトラウマになっているのかもしれない。
声の上げ方にはさまざまな方法論があるはずだ。列島民がそれぞれ抱えているそれぞれの事情の中で声を上げればいいと思う。
僕の場合は文学的文化的に語られる復興の思想を繋いでいく。それが田中文脈研究所という屋号を上げて、コンテキスターという肩書きをつくった者のミッションだと確認し確信した。 
『脱藩2周年・極私彷徨』2012.6.29
ところが、現状は怖ろしいことになってきている。
コンテキスターも政治を語らないと前に進めなくなってしまった。
まして、LOCという世代論を提唱した者にとっては黙っているわけにはいかない。僕が自分のブログで何を言っても世の中に影響があるとは思えないが、やはり思うところを吐き出さないと楽しく生きることはできない。

その原因はもちろん、安倍政権である。この政権は相当、たちが悪い。
なにしろ、歴史を変えてしまおうとしているのだから。過去に起こってしまったことは変えようがないので、歴史を隠す工作をしている、というのが正しい言い方なのかもしれないが。

村上春樹の新作小説「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」がベストセラーになって、様々な評論が世に出ている。
しかし僕にとって、この小説のキーワードはただひとつ。

「記憶を隠すことはできても、歴史を変えることはできない」

2011年6月にスペインで「非現実的な夢想家」という反核スピーチをした春樹が、それ以後の日本的現実を見続けた結果がこのワーディングに結実したのだ、と僕は勝手に思っている。
これは小説なので、もちろん、春樹ファンひとりひとりが好きなように楽しく一気読みをすればいいのだが。

安倍首相は記憶を隠すことが巧みだ。
それにプロパガンダがとてもうまいので、とりあえず都合の悪いことには蓋をして巧みに隠すことができる。
フクシマは、ヒロシマ、ナガサキと同じく彼の記憶の石棺に押しこめられたらしい。
「過ちは繰り返しません」という言葉はどこに行ったのだろうか。

ヨンニッパーを忘れた人は日本国憲法も忘れていく。
「戦後レジュームからの脱却」というのは、すなわち「戦前ファシズムへの回帰」と同義語なのに、なんとなく新しい方向性を示しているように聞こえるから困ったものだ。

なぜ、安倍首相はこれほど改憲に執着するのか。趣味が右翼だから、という理由で改憲されるのなら、今度は左翼が趣味の人が政権を取ったらまた憲法が変わってしまう。これはおかしな話である。

しかも自分は第96代首相だから憲法96条を改正したい、などということまで言って、まずはゲームのルールから改憲派に都合のいいように変えようとしている。
権力者も人間、神様じゃない。堕落し、時のムードに乗っかって勝手なことをやり始める恐れは常にある。その歯止めになるのが憲法。つまり国民が権力者を縛るための道具なんだよ。それが立憲主義、近代国家の原則。だからこそモノの弾みのような多数決で変えられないよう、96条であえてがっちり固めているんだ。それなのに、縛られた当事者が『やりたいことができないから』と改正ルールの緩和を言い出すなんて本末転倒、憲法の本質を無視した暴挙だよ。近代国家の否定だ。9条でも何でも自民党が思い通りに改憲したいなら、国民が納得する改正案を示して選挙に勝ちゃいいんだ。それが正道というものでしょう。 
『小林節インタビュー/毎日新聞2013年4月9日』
改憲派の論客もこんなことを言っている。ルールを勝手に変えるのはいくらなんでもずるいと思うのはごく普通の感覚なのだ。

そもそもなぜ、日本国憲法を毛嫌いするのかが理解できない。
LOCとしては、この列島民が体験した悲惨な戦争の歴史的事実と引き替えに手に入れたものはなんとしても守ればいい、と素直な気持ちで思うのだが……。

このあたりのことに関しては太田光・中沢新一の「憲法九条を世界遺産に」という主張に僕は全面的に賛成だ。
改憲すべきだと言う人が、自分の国の憲法は自分の国で作るべきだと、よく言います。でも僕は、日本人だけで作ったものではないからこそ価値があると思う。あのときやってきたアメリカのGHQと、あのときの日本の合作だから価値があると。アメリカとしては、あの憲法を日本に与えて実験的な国をつくってみようという意図があったのかもしれない。だから、あそこまで無邪気な理想論が生まれたのでしょう。アメリカのああいう無邪気なセンス、僕は大好きなんです。 
(中略)価値があるのは、日本人が曲がりなりにも、いろんな拡大解釈をしながらも、この平和憲法を維持してきたことです。あの憲法を見ると、日本人もいいなと思えるし、アメリカ人もいいなと思える。すごくいいことじゃないですか。その奇蹟の憲法を、自分の国の憲法は自分で作りましょうという程度の理由で、変えたくない。少なくとも僕は、この憲法を変えてしまう時代の一員でありたくない。 
『憲法9条を世界遺産に』第二章 奇蹟の日本国憲法 太田発言

(前略)日本国憲法は、ことばでできた日本人のドリームタイムなんですね。このことばでできたドリームタイムによって、日本人は今まで精神の方向づけを行ってこられたんです。日本国憲法の文言をそのまま守っていると、現実の国際政治はとてもやっていけないよ、ということはほんとうです。北朝鮮が日本人を拉致した。こんな国家暴力にどう対処するんだと憲法の問いかけても、憲法は沈黙するばかりです。いつだって神々は沈黙するんですよ。イエス・キリストだって十字架の上で、このまま私を見殺しにするんですか、と神に向かって訴えたけど、神は沈黙したままでした。おそらく日本国憲法も、そういうものだろうと思うんですね。それはことばにされた理想なのですから、現実に対していつも有効に働けるとはかぎらない。働けないケースのほうがずっと多いでしょう。でも、たとえそれでも、そういうものを捨ててはいけないんです。そういうものを簡単に捨ててしまったりしたら、日本人は、大きな精神の拠り所を失うと思います。この憲法に代わるものを僕たちが新たに構築するのは、不可能です。
『憲法9条を世界遺産に』第二章 奇蹟の日本国憲法 中沢発言
無茶な憲法だといわれるけれど、無茶なところへ進んでいくほうが、面白いんです。そんな世界は成立しない、現実的じゃないといわれようと、あきらめずに無茶に挑戦していくほうが、生きてて面白いじゃんって思う。 
『憲法九条を世界遺産に』第二章 奇蹟の日本国憲法 太田発言
中沢によれば、日本国憲法にはアメリカ先住民、イロコイ族の「イロコイ連邦憲章」の永久平和維持の精神が息づいているという。
イロコイ族というのは、半農半X研究所、塩見直紀さんがよく言及する「七世代先の子孫」のことまで考えてものごとを決定したという民族だ。

一世代が50年として350年先までの想像力を持つのは難しいが、自分の孫が二〇歳になったときに国防軍に入って、集団的自衛権という権利を駆使してアメリカ軍といっしょに世界のどこかで戦争をしている姿を想像してみよう。

その姿を誇らしく思うのか、絶対にいやだ、と思うのか、その判断を僕たちは問われているのだ。
僕は絶対にいやだけどね。

だったら、安倍政権に反対の声を上げるしかない。
一般論ではなく、自分の歴史的文脈からも、今の自分の家族的文脈からも。
あんなに可愛い孫を戦争に行かせてたまるか。この先は女の子であろうと、軍隊は大歓迎してくれるらしいが。

人は誰もが歴史的社会的文脈から逃れることはできない。その文脈は当然のことながら、家族史からも大きな影響を受けている。

僕の父方の祖父も母方の祖父も中国大陸と深く関わっていた。
満州と言われた国があった頃の話だ。大連を中心にしてかなり自由人として生きていたらしい。そろそろ僕は、彼らの文脈研究をしてみたいのだが、それは宿題にしておこう。

僕の母方の祖父は「大連汽船」という会社のエライさんだったらしい。敗戦後の満州で引き揚げ前に死んでしまったので、僕はこのじいさんに会ったこともないし、詳細は分からないが。

一方、安部晋三の母方の祖父は岸信介という。
一国の総理と一介の「中等遊民」を同列に並べるのはいかがなものか、というご意見は無視する。
オープン&フラットというのはすべての文脈を横並びにして考えてみることでもあるので。

僕のじいさんと違って、岸信介の場合は歴史的事実が残っている。
岸は1936年に当時は満州国と呼ばれた地域の首都であった新京に官僚として赴任して、満州の産業開発に奔走した。
『満州裏史』(太田尚樹)によれば、1939年の帰国時には上司から「クリーンだったあの男が、あそこまで闇の世界に手を染めながら、満州国を動かした」と言われるまでになったという。

戦後はA級戦犯の容疑者になりながら、冷戦でアメリカが占領政策を逆行させたために釈放されて公職追放された。そして1952年のヨンニッパーに公職追放解除されている。
そういう意味では4月28日は岸信介の「主権回復の日」であることは間違いない。
さらにウィキペディアによれば、岸はその後、「自主憲法制定」「自主軍備確立」「自主外交展開」を目標にした保守政党をつくったとある。

結局、安倍首相は祖父の見果てぬ夢を自分が実現しようとしている「よくできた孫」なのかもしれない。

歴史を上から目線で、「儲かった人たち」サイドから見れば、戦争の歴史は違うように見えるのだろう。しかし、岸信介が去ったあとの満州で、1945年8月15日前後に何が起こったのかを「見捨てられた人たち」の目線で検証する作業も必要だ。

僕の父方の祖父や母たちは、いろいろあったが、なんとか無事に大連から引き揚げることができたから、今、僕はここにいる。そして温々と育って大学に入り会社に入った。

「高度成長」の恩恵を受けて「豊かな消費生活」の先頭に立っていたことは事実だ。
だからといって、今さら、そのことを「自己否定」も「自己批判」も「総括」もする気はない。
そこに罪の意識を感じて、妙な倫理主義に陥ると言いたいことが言えなくなる。

僕は今、自分の感じている「気持ちの悪さ」を放置するわけにはいかない。

ヨンニッパーも憲法も原発もTPPもリフレも全部が気持ち悪い。
つまり、安倍政権が目指していることが気になってしょうがない。

電通のおかげで飯を食ってきたお前にそんなことを言う資格があるのか、と言われても気色が悪いものは気色が悪いのだ。
今の僕はまったくのフリーランスなので誰に遠慮することもない。

ああ、きしょくわるい!

だが、駄々っ子みたいなことだけを言っていても事態は進展しないので、もう少し歴史の事例を見てみよう。

いくら趣味が右翼の安倍首相でもさすがにナチズムは礼賛していない。
ナチスが政権をとったのは、暴力革命ではなく、普通選挙権による代議制民主主義のなかででした。当時のドイツには、世界最大の労働政党であるドイツ社会民主党や、キリスト教保守政党があり、労働者と保守層を代表していました。しかし恐慌のなかで、どこの政党にも「われわれが代表されていない」という思いを抱く失業者たち、わけても第一次世界大戦の帰還兵で「社会の余計者」あつかいにされていた若者たちが、共産党とナチスを支持しました。 
『社会を変えるには』小熊英二 P326

「どういうことなのか。どうすればいいのか」という刺激的な帯がついたこの本は日本と世界の社会運動史に対する示唆に富んだ論考である。残念ながら僕の気持ち悪さを一気に払拭してくれるわけにはいかないが。

ナチスが政権を掌握した後の1933年の3月23日にはそれまでの憲法を否定する全権委任法が成立し、立法権を政府が掌握し独裁体制が確立した。その後にナチスがやったことは今さら説明の要はないだろう。


戦後のドイツは過去に自分たちがやってきたことを背負い「自分たちがやったことは何だったのか」と自らに問い続け、検証をし、今日まできている、と小出裕章先生は語っている。

終戦から四〇年後の1985年5月8日に当時のヴァイツゼッカー大統領は『荒れ野の40年』という演説をしていたことをこの本で教えられた。
問題は過去を克服することではありません。さようなことができるわけはありません。あとになって過去を変えたり、起こらなかったことにするわけにはまいりません。しかし過去に目を閉ざす者は結局のところ現在にも盲目になります。
『新版荒れ野の40年』リヒャルト・フォン・ヴァイツゼッカー(岩波ブックレット)
歴史に目を閉ざしてはいけない。自分たちのやってきた歴史、過去をしっかり見つめていかないと現在をまた間違える。未来のこともまた間違える。 
『骨子要約/小出裕章』
安倍首相も戦後のドイツについて、その著書で言及している。
(ドイツは)主権回復と同時に国防軍を創設し、軍事同盟である北大西洋条約機構に加盟した。そればかりか、西ドイツは、東西統一までに36回も基本法(憲法)を改正し、そのなかで徴兵制の採用や非常事態に対処するための法整備をおこなっている。 
『新しい国へ(美しい国へ完全版)』安部晋三 
でも、そのドイツが2011年7月4日に徴兵制を事実上、廃止したというつい最近の歴史的事実については何も言わない。

そのドイツが311後に脱原発を加速して自然エネルギーへのシフトが急速に進んでいることにももちろん言及しない。

安全が確認されたら再稼働します。新しい技術で安全な原発をつくります。核融合はまだできないので、今は核分裂の原発に頼るしかない。原発を止めたら電力会社は倒産してしまうし。
これが「新しくて美しい国」の基本的なエネルギー政策なのだ。
日本という国は古来、朝早く起きて、汗を流して田畑を耕し、水を分かちあいながら、秋になれば天皇家を中心に五穀豊穣を祈ってきた、「瑞穂の国」であります。自立自助を基本とし、不幸にして誰かが病で倒れれば、村の人たちみんなでこれを助ける。これが日本古来の社会保障であり、日本人のDNAに組み込まれているものです。
『新しい国へ(美しい国へ完全版)』安部晋三 
はい、総理のおっしゃるとおりです。では質問です。
それではなぜ、「瑞穂の国」とは未来永劫相いれない放射能をまき散らすものを容認するのでしょうか。
強い農業と強い放射能はどちらが強いのでしょうか。

これからの「瑞穂の国」に必要な施策は以下ではないでしょうか。

不幸にしてどこかで原発が爆発したら、国の人たちみんなでこれを助ける。
日本人のDNAを傷つける被曝は低線量でも許さないと社会全体で保障する。

この首相の言うことが信用できないのは、僕だけなのだろうか。
満州や中国戦線、南方戦線の記憶に蓋をする前に、汚染水が漏れ続けるフクイチの石棺をつくることに全精力を上げたらどうか、と思うのは僕だけなのだろうか。

「騙されたあなたにも責任がある」
これは、小出先生の口癖である。確かにそうだ。特に鉄腕アトム世代でもあるLOCは騙され続けてきた。

でも、もういやだ。
この気色わるい情況からエクソダスして、楽しく孫と遊びたい。
そのために言いたいことを言いたい。

僕には小出先生や田中優さんのような潔い生き方はできないだろう。
言っているとことやってきたこと、やっていることが矛盾している、と言われてもしかたがない。
でも、言いたいことは言いたい。言えるうちに。

自民党の憲法改正草案の第21条。
「集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する」という現行規定に「前項の規定にかかわらず、公益および公の秩序を害することを目的とした活動を行い、並びにそれを目的として結社をすることは、認められない」という条文を追加した。

みごとに戦後レジュームから脱却して戦前ファシズムへの回帰をしようとしている。
まさか、僕のブログが公益に反するとは言われないだろうが、小出先生や田中優さんや岩上安身さんを招いた講演会は安倍首相が「それは僕の考える美しい国の公益に反する」と判断したら、「弁士、中止!」になるわけだ。

残念ながら、今の政権を選んだのは僕たちなのだ。
文句は言えるが、しばらくは体制を変えることはできない。それが代議制民主主義というものなのだから。自民党の比例区得票率が3割だとしても。

「社会を変えるには」という大著を著した小熊英二は4月25日の朝日新聞の論壇時評でこう言っている。
7月の参院選で自民党の勝利が確実視されている。 今回は自民党が大敗した2007年参院選の改選である。自民党が現有議席より増えるのが「勝利」ならそれはほぼ確実だ。 また、自民党以外に「勝つ」政党がない。民主党が「勝つ」可能性は短期的には低い。地方に足場のない維新や「みんな」も同様だ。その他の政党はいうまでもない。

半農半ジャーナリストの高野孟さんの言を借りればまさに「荒涼たる日本政治の光景」がこの先しばらくは続くのだろう。
(たとえ自民党の比例区得票率が3割でも選挙をすれば)「昔のやり方を踏襲してほしい」という3割の票が確実に勝つ。その3割も、それでいいと信じているわけではなく、「自分が逃げ切るまでは昔のやり方で」「ほかに未来が見えないから」という人が多いだろう。いわば「懐メロを歌いながら沈んでいる」のが現状だ。今はアベノミクスの「小春日和」だが、長く続くと信じている人は多くあるまい。

と分析したあと、小熊は「選挙に頼れない今、対話を」と説くのだが、「懐メロで酔っ払って二日酔いからの回復が遅く、逃げ切り世代に属してしまった」ラスト・オキュパイド・チルドレンは、誰に向かってどんな対話をすればいいのだろうか。


その答えは「昔、革命的だったお父さんたち」に向かって、孫たちに何を残して死ぬか、という対話をすることだと思われる。

今月の文脈研究レポートを四苦八苦しながら書くために、かなりたくさんの本を読みこんだ。
締切が迫っている今、最後にたどり着いた本がこれだった。2005年に読んで本棚の目立つところにずっと置いていた本だ。

一気に再読した。これはラスト・オキュパイド・チルドレンのバイブルだ。

第一章 団塊世代、かく戦えり~戦後日本と新左翼運動
第二章 サブカルチャーにはじまり、終わった世代~団塊世代が切り開いた地平と挫折
第三章 亡国の世代 やり逃げの世代~そう呼ばれて、消えていくのか

特に第二章は、LOCの文化的背景と精神的文脈を語るうえでの貴重な論考になっている。
もちろん、この本のコンセプトは「団塊世代」だ。LOCという概念は入っていない。団塊とLOCの微妙な関係については、またいつか書こう。

昔、革命的だったお父さんの世代は、特定の支持政党を持たない無党派層の比率が高い。
かくいう僕も選挙には無関心な時代が長かったのであるが。
僕は「しらけ世代」でもあったのだ。

安倍政権が誕生した衆院選の投票率は59.32%。戦後最低だった。
「あしたのジョー」を夢見たお父さんたちは、この結果をどう思っているのか対話したくなってきた。

でもって、7月の参院選のことはどう思っているのだろう。
と他人のことをあれこれ言う前に、まず自分のことだった。政治的文脈で書き始めたことは政治的に終わる必要がある。

このレポートを書くために、田中文脈研究所の過去記事もかなり読み返してみた。

コンテキスターはいろいろな人に会って話を聞き、ものごとを考えてきている。
その中で、自分が信頼できると思う人の視座に寄り添って参院選への態度を決めるしかないな。
安倍自民党に投票することはありえないけど。

まずは塩見直紀さん。
つづいて田中優さん。
鴨川自然王国高野孟さん。
やっぱり小出裕章さん。
ちなみに小出先生は1949年生まれだ。最後の団塊世代でこれほど気骨があって、しかもやさしい人がいたのは奇跡的なことと思われる。

最後はこの人。1年前の子供の日には「緑の鯉のぼり」で「原発ゼロの日」を祝ったのに、この国はなんという逆行コースをたどっていることか。


最近、この人が「じじ、しっかりせえよ」というような目で僕を見ていると思うのは錯覚だろうか。

しっかり考えてみたら、颯爽たる未来圏から吹いてくる風はやっぱり緑なのだろうね。


今回も長いレポートにおつあいいただき、ありがとうございました。
最後におまけをひとつ。苦しい時の宮澤賢治頼みを。


「政治家」 

あっちもこっちも
ひとさわぎおこして
いっぱい吞みたいやつらばかりだ
羊歯の葉と雲
世界はそんなにつめたく暗い

けれどもまもなく
そういうやつらは
ひとりで腐って
ひとりで雨に流される

あとはしんとした青い羊歯ばかり
そしてそれが人間の石炭紀であったと
どこかの透明な地質学者が記録するであろう

『春と修羅第三集』宮澤賢治