2014年7月28日月曜日

文脈研究所、東京国際ブックフェアに行く。

あちこちに顔を出して彷徨していると、また自己紹介で悩む日々。
「英田上山棚田団信頼責任者」です。「協創LLP構成員」です。「半農半X研究所主任研究員」です。「マイファーム農園メンバー」です。
「ああそうですか、それはどうも。で、あなたの本業は何でしょうか?」
こういう反応が返ってくると、回答を探さなくてはならない。
「田中文脈研究所コンテキスター」です。
それは法人ですか? 具体的に何をしているのですか?
僕は困ってしまう。
「雑文書き」です。
最近は開き直った方がいいような気もしてきた。

「自己紹介は世界を救う」(by塩見直紀)という言葉にインスパイアされて、こんな雑文を書いたこともあった。
今でも、この状態は変わっていない。
で、住所不定無職のおっさんは、東京国際ブックフェア(TIBF2014)にも顔を出した。


このコンベンションは以下を来場対象としている。
書店・取次・出版業界関係者・学校/図書館・専門家/法人ユーザー・読者。

同時に開催されている第18回国際電子出版EXPOにも事前申込みをしていた。
7月4日、僕は出展社であるボイジャーの招待状を持って入場窓口に行く。IDをもらって首にかけた。

なぜか「書店」になっている。そこに田中文脈研究所の名刺が貼り付けてあった。
ま、いいか。本業は「本」業です、と名乗れたら素敵かもしれない。

書肆「田中文脈研究所」か。
専門は「半農半X」と「尊農護憲」関連書籍。
それから日本近現代史、特に「満州国」と高度成長関連。311関連の書籍ラインアップも充実している。おや電子書籍の文脈棚もあるぞ。あれ釣師の名言コーナーもある。
片隅には「村上春樹と中国現代小説、文脈整理なう」というPOP。
「読まずに死ねるか、私が愛した冒険小説」特集が平積みされてある。
一体、どんな本屋やねん!?


妄想書店のおやじは、まずボイジャーのブースに行った。
僕はボイジャーのファンであり、日本の電子書籍の曙を支えた萩野正昭さんを尊敬している。その萩野さんに初めて、リアルにお目にかかることができた。
ボイジャースタッフは全員、揃いのTシャツを着ている。
Text:THE NEXT FRONTIER 言葉こそが次世代の最前線である。

ボイジャーのスピーキング・セッションに顔を出して、萩野さんにご挨拶。テキストTシャツを僕も手に入れる。嬉しい。


書店IDをぶら下げて、電子出版EXPOと国際ブックフェア会場を散策する。

僕はこういう大きなコンベンションが好きだった。会社員の頃は、IT関連のイベントによく顔を出していた。今世紀の初め、全米放送協会主催のNABショー@ラスベガスに参加したことで、大きな学びをしたことがある。今に至る僕のネット発信の原点だ。

それはともかく。歩く。展示ブースに興味を示すとすぐに資料を渡される。たちまち紙の束が増えていく。本の割引販売コーナーもある。買わないカワナイ、とおまじないを唱えながら歩く。それでも買った本はこれ。


『もう10年もすれば…消えゆく戦争の記憶―漫画家たちの証言』

今人舎、イマジンを子供たちのために届ける出版社らしい。2014年6月30日第一刷発行。
この本は1995年に上梓された『ボクの満州』(亜紀書房)の復刻版だ。


もう10年すれば2024年。「今こそ中国を読もう」と帯にある。

アベシンゾーくん、読みたまえ。
「満蒙は日本の生命線」とお題目を唱えた結果がどうなったのか、「ホルムズ海峡は日本の生命線」と主張する君は認識しておるかね。

閑話休題。先を急ごう。聞いてみたいボイジャーのセッションが始まってしまう。時間がない。
数多くの出版社ブースの中で、異色のところがある。農文協(一般社団法人農山漁村文化協会)。

農文協のブースには「半農半X」を標榜する書肆としては取り揃えたい書籍が山ほどある。
一冊を厳選する。




『内山節のローカリズム言論』。大判の本を思いきって買ったのだが、会場のどこかに忘れてしまった。残念。農文協の人からは内山節著作集全15巻を予約しませんか、と誘われたのだが、うーんと考えてお断りをした。



ボイジャーのブースに戻る。スピーキング・セッションを傾聴した。
漫画家鈴木みその「KDPが私の道を拓いた!」
KDP=Kindle Direct Publishing、アマゾンのセルフ出版サービスのこと。

ボイジャー以外のTIBFの会場全体で、何となくアマゾンのアの字を出すのが憚られるという雰囲気を感じたのは僕だけだろうか。
そういえば、ジャパゾンはどうなったんだ?

『ナナのリテラシー1』(著者:鈴木みそ/発行:鈴木みそ)

続いてテクノロジーライター、大谷和利の「本とネットとRomancer」
ロマンサーとは、ボイジャーが開発したWEBベースのセルフ出版システムのことだ。

「本とは何か?」と問われたとき、「本とは物体のことではなく、持続して展開される論点やナラティブ(物語)」だと著名な編集者が答えている。
ロマンサーは紙を超え、個別の電子書籍アプリを超えて、人々が慣れ親しんでいるWEBブラウザをベースにした〝本の進化形である。
詳しくは、この無料セミナーをどうぞ。



苦節22年。1992年以来、電子書籍の獣道を歩んで失敗を続けてきたボイジャー。
失敗してきたと言うことはすごい知見が溜まったということだ。そして、そこに連帯が生まれる。



VOYAGER SPEAKING SESSIONS、最終航程。
「メディアと書き手の連帯が欠かせない時代」 萩野正昭(ボイジャープロジェクト室長)

声を荒げようとありったけに叫ぼうと、呼応する声など返ってこない。〝モノ〟をいうこの果てしない孤独感をみんな噛みしめている。それでも突き動かされるように人は人とのつながりを求める。この不思議さに心を動かす原風景の中に、私は出版という意味を示す鍵が隠されているとおもってきた。 
『本とあなたをデジタルでつなぐ』(第4章 私たちに身方するメディアなどない)

「無縁の中から立ちあがる伝播の悲哀」、「身方するメディアなどない」時代閉塞の現状。
そこに風穴を開けるための営為を鋭意実行した結果、ボイジャーは数々の連帯を獲得しつつある、と萩野さんは語った。

ドラえもんとの連帯。
電子出版権を自ら保持していた文学者(池澤夏樹)との連帯。
そして、失われてしまった盟友(富田倫生/濱野保樹)との連帯。

萩野さんの声を聞きながら、僕はこんな言葉を想い出していた。

    連帯を求めて孤立を恐れず。
    力及ばずして倒れることを辞さぬが、
    力尽くさずして退くことを拒否する。



あけて7月5日。〝本の学校出版産業シンポジウム2014in東京〟

NPO法人本の学校の出版産業シンポジウムは、2006年から東京国際ブックフェアの期間に合わせて開催されている。
1995年から5年間にわたって鳥取の大山で開かれた〝本の学校・大山緑陰シンポジウム〟の志を引き継いだものだ。

「田中文脈研究所」は、本の学校の正会員でもある。憧れの出版産業シンポジウムに初めて参加させていただいた。

まずは、特別講演。
「これからの書店ビジネスを展望する―リアル書店のネット時代への対応策」
基調講演は紀伊國屋書店の高井社長である。
巨大書店の社長は〝リアル書店という言い方には抵抗がある、と語った。
書店にリアルもバーチャルもない。そこには本を読者に届ける情熱があるだけだ、という思いなのかもしれない。

巨大書店も、はじまりは新宿の地域書店だったのかな、そうか、紀伊國屋徳島店には「地元同人誌コーナー」があるのか、今度、徳島に行ったら覗いてみよう。ドバイの「王族買い」か、憧れるな、などと妄想書店のおやじは納得していく。

「お江戸がなんぼのもんじゃい」という対抗意識を漲らせているように見えたのは京都のふたば書房の洞本社長。残念ながら、ふたば書房箕面店は閉店してしまったが。本屋のマーケティングは難しい。


午後からは分科会。第二分科会「本がつなぐまちづくり」に顔を出す。
今井書店グループの永井伸和会長にもご挨拶できた。

コーディネーターは森田秀之(株式会社マナビノタネ)、パネリストは磯井純充(まちライブラリー提唱者)、鎌倉幸子(シャンティ国際ボランティア会)。
この分科会では、興味深い言葉の連発だった。

かえぽん部、植本祭、大阪のおばちゃんの飴効果。
食べ物は食べたらなくなります。でも読んだ本の記憶は残ります。
立ち読みお茶のみおたのしみ。
本はやさしくつなぐ、人と人、人と情報、人と未来。

ところが、僕のお尻は落ち着かない。この会場の外では列ができていた。東京国際ブックフェア・読書推進セミナー〝「読書」の極意と掟/筒井康隆〟を聴講するために1時間前から並んでいる人々がいる。

本の学校会員のくせに大御所作家の話に浮気をしたかったのだ。
筒井康隆。小松左京、星新一と並ぶ日本SF界の巨匠。スラップスティックの帝王。


申込者は3500人。会場に入りきれない場合はビデオ中継の方に案内されるという。僕は、そっと分科会を抜け出して向かいの会場に向かった。

なるほど、ベストセラー作家のファンというものはこういう人たちなのか。
小説家が語る読書の極意はシンプルなものだった。
「手当たり次第に読みなさい」
御意。
この講演のタイトルは彼の〝作家としての遺言〟である『創作の極意と掟』の受け売りで、小説家としては不本意だったらしい。

圧巻は後半の自作朗読。最近作の『奔馬菌』。
このハチャメチャSF作家が、実は、311後の列島に深い憂慮の念を持っていることがよく分かった。
そして、自分のテキストを読むという行為は想像以上に力仕事らしい。朗読を終えたあとのため息が印象的であった。
ニワカ小説家としては、創作の極意と掟も熟読してみたい。



会場は本の学校の交流会に移る。
永井会長以外は誰も知らない会場。さすがにエセ書店のIDは、恥ずかしいのではずす。
FB友達すらいない純粋初対面の交流会はスリリングだ。緊張して?写真を撮るのを忘れている。本の学校FBからお借りしよう。



本の学校副理事長の前田昇さん、はじめまして。また米子に行ったときに農談議をさせてください。

今井書店の田江会長、はじめまして。いつも松江の野津旅館がお世話になっております。

会場で乾杯を待つために佇む微妙な時間帯。僕にビールを注いでくれたオジサンがいた。
名札は「VALUE BOOKS」、バリューブックス、どこかで聞いたことがある。

東京の出版社? 東京の本屋さん?
「実は、私どもは信州でして……」
そこで、ようやく文脈が繋がった。


東京に来る前に、僕は大量の蔵書を整理すべく段ボール箱に詰めていた。自分の本の断捨離というのはとても時間がかかるものだ。いまだ詰め切れていないが。

その段ボールの宛先がバリューブックスだったのだ。
そこは、アマゾンのアの字の関係者だった。

アマゾンから送られてきたチラシにあった送料無料集荷、買取金額10%アップのコピーに僕は惹かれた。はじめてバリューブックスを利用するつもりになっていた。

「弊社をお使いになろうとした一番の動機は何ですか?」バリューの廣瀬聡さんが訊ねてくる。
「実はうちはエレベーターのないマンションの4階でして……クロネコヤマトさんには悪いのですが、とても自分で段ボール5箱を下ろす気力がでなくて……」
僕のとぼけた回答に、またビールを注いでくれる。

廣瀬さんとはすっかり意気投合してしまった。世代が近い本好きにキャズムはない。


「本とは木の横にキズをつけてできている。だから木のためにも大切に扱いたいものです」という本の学校、植田新理事長の挨拶で酒宴は盛り上がっていく。

本とは言葉を耕して、そこに実ったものをひとまとめにしたものである。実りを入れる箱は何でもいい、と「田中文脈研究所」は考えている。
いい加減で耕すためには、自力と他力が混ざりあうことが必要であろう。

本の学校交流会のようなところは、本というものを媒介にして、混ざり合う力が高まる場所である。

森田秀之さん、はじめまして。分科会を途中で抜け出してすみません。今度、信州に行ったらマナビノタネの畑を見せて下さい。

星野渉さん、はじめまして。文化通信ネット会員になりました。



鎌倉幸子さん、はじめまして。中締めの挨拶、感動しました。僕もつい最近、復興の書店巡りをしたばかりです。


高須博久さん、はじめまして。『上山集楽物語』へのお声がけ、嬉しかったです。

そして、永井伸和さん、ありがとうございました。
本との出会いは本当の出会いにして、人との出会いの資本ですね。
おかげさまで、僕の本業が見えてきた気がします。

「田中文脈研究所コンテキスター」を本業にするために、何をなすべきか?
この研究所は静的なものではなかった。
自分がクライアントで自分がプロダクションの運動体であった。いまだ動いているのでパッケージにはなっていない。そろそろ段落をつけたいと思う。

「文脈研究所」は、ある一定の視座を持ってまとめていけば「本」業になれるような気がしてきた。雑文をひとまとめの本にしたい。

視座の確保がなるのかならぬのかは、やってみなければ分からない。
さて、本末転倒になりませんように。