2014年1月31日金曜日

文脈日記(昭和27年生まれの私的メディア論)

とあるきっかけから「卒業論文」のようなものを書き始めたので、今月の文脈レポートは簡潔に。
僕は早稲田大学政経学部を卒業しているが「卒論」は書いたことがない。1970年から1974年はそういう時代だったのだ。授業に出た覚えはあまりなく単位はレポートを書いたらもらえた時代。そういう不良学生は「ゼミ」というものに入れてもらえず、したがって「卒論」も存在しなかった。
では、どうやって電通に入れたのか? というのはまた別の物語。

「卒論」のようなもののコンセプトは「満州」。主要文脈は「満映」と「建大」。なぜこの二つの文脈なのかは『協和から協創へ』というレポートを参照してください。
卒論がどのような形でアウトプットできるのかは、これからのお楽しみということで。

道草をせずに先に進もう。

最近、僕はこんな投稿をフェイスブックにした。

僕はマスゴミという言葉が嫌いです。相手のことをゴミやクズと言ってしまったらそこでコミュニケーションは終わってしまうからです。もちろん僕自身がマスコミの恩恵で禄を食んでいた時代があることも関係していますが。
確かに最近のマスコミ(含むNHK)は資本の論理で動いていることも見え隠れします。でも情報大洪水の時代には、マスコミが伝えないことを読み解くリテラシーも必要になります。まったく面倒くさいことになったものです。
そんななかでハフポストの日本版編集主幹に長野智子さんが就任したという情報には注目しています。
テレビのキャスターで育った長野さんが朝日新聞と提携しているネットニュースポータルの「ザ・ハフィントン・ポスト」に関与していくこと。
ハフポストも参照しながら、ささやかなメデイア論を書くのを今月の田中文脈研究所のテーマにしますかね。
先月のエントリー「本の未来」の続編になればいいのですが。

本当に面倒くさいことだが、このタイミングで「私的メディア論」を書いておく必要がありそうだ。
「マスコミが伝えないことを読み解く」に関しては事例を挙げることにしよう。

東京都知事選。1月23日告示。午後7時からのNHKニュースをモニターしてみる。オープニング映像はまーくん。いや、いいのですけどね。僕もまーくんは大好きだし。
でも違和感を感じた人も多かったはず。
でも、その後の各候補紹介ではNHKらしく律儀にそれぞれ約1分ずつ紹介していたので、よしとしましょう。

午後7時のニュースのメインキャスターは武田真一。
最近、彼の顔が仮面をかぶったように見えてきたのは僕だけだろうか。
武田アナに関しては思い出がある。
2011年3月15日、僕はこんなツイートをしていた。

田中文夫@fumimay
NHKテレビなう。福島県南相馬市の桜井市長に電話取材。国はなんとかしてほしい。住民は限界に来ている。
posted at 19:13:44 
田中文夫@fumimay
NHKテレビなう。ニュースのアナウンサーが南相馬市の桜井市長への電話取材のとき、嗚咽をこらえていたように見えた。これは僕の主観です。
posted at 19:20:50


この「嗚咽をこらえていたように見えた」アナウンサーが武田真一だった。
もちろん、311直後と現在は状況が違うし、彼も3歳、年を取った。
それでも、最近のNHKニュースでの武田アナを見ていると、なんだか無理があるような気がする。
まあ、これはアベシンゾーの手前勝手な演説を聴かされる僕の嫌悪感が反映されているのかもしれませんね。

名護市長選の影に隠れて目立ったなかったが、桜井市長も再選されている。
忘れないために、NHKが3月15日に電話取材した後、TVを通さずに流れた彼のSOS映像も見てください。


「報道機関も金融機関も逃げていった。とにかく現場に来てほしい。現場を見て欲しい。何が起こっているのかを目撃して欲しい」

この桜井市長の訴えは報道メディアの本質である。現場を隠すベクトルへの抵抗力を失うとメディアは死ぬ、ということだ。

その死亡例は、72年前から現出していた。1942年(昭和17年)ミッドウエー海戦。
以後3年間、「大本営発表」という「死に体メディア」が、この列島を席巻した。

で、NHKの話に戻ると。
311の直後には「水野解説員」という人がNHKニュースにはしばしば登場していた。


時の政府が「ただちに影響はない」と言っても「極めて深刻な事態だ」と言い続けた解説員だ。
水野倫之の放送したことに関しては、俵万智さんの短歌を3首引用しておきたい。

子を連れて西へ西へと逃げていく愚かな母と言うならば言え 
まだ恋も知らぬ我が子を思うとき「直ちには」とは意味なき言葉 
簡単に安心させてくれぬゆえ水野解説員信じる

つまり、この頃のNHKには「政府が右といったら右」でよろしいやんけ、という某モミイNHK会長的公明正大に抵抗する空気がまだあったと思われる。

もちろん、311直後でも水野解説員以外の「専門家」で政府の御用をしていた解説者と科学者はごまんといてNHKで毎日しゃべっていましたけどね。
某会長の下で、今、水野解説員は何を考えているのだろうか。


次にテレビよりは新しいメディアの話をしよう。

この正月、メディアに関する論客がまたひとり逝ってしまった。
浜野保樹さん。昭和26年4月11日生まれ。平成26年1月3日、脳梗塞で死去。
享年62歳。ご冥福をお祈りします。

先月の文脈日記で紹介した萩野正昭さんの盟友だった。

富田倫生さんに続いて浜野保樹さんを失った萩野さんの悲しみは青空を突き抜けて大気圏の藍に達するほどのものであろう。

「濱野保樹の急逝は、さまざまなことを私たちに物語っていたとおもいます。残念ではありますが、人には人の命という限られた時間があるということ……これを思い知らされました。あらためてこの命というものを、もう一度顧みていただきたいとおもいます」 
萩野正昭 『濱野保樹氏を送る弔辞集』より
萩野さんの言葉は、「ロマンサー」という新しいメディア・ツールによって届けられている。

そして、ロマンサーで作製した電子書籍はそのまま、B in B storeで公開できる。
日本の電子出版の先駆け、ボイジャーがその電子読書システムをT-TimeからB in Bへと歴史的変換をした時、僕は萩野さんとコミュニケーションできる僥倖を得た。

このロマンサーの語源については、マルチメディアの鬼、浜野さんの著書からお借りしよう。


『極端に短いインターネットの歴史』は僕のiPadに2011年には格納されていたはずだ。
なぜなら当時のボイジャーブックスが無料でダウンロードさせてくれたから。

この本は今でもB in Bサイトなら無料で手に入る。
ところが、Amazonで紙の本を求めると、なんと6千円也なのだ。

ロマンサーというのは『ニューロマンサー』というSF小説からネーミングされたようだ。
この小説はまだ読んでいないので、言及はしません。

『極端に短いインターネットの歴史』P142

「極端に短い」割りには、この本の中身はとても濃い。
今、僕たちが骨がらみになっているワールド・ワイド・ウェッブという蜘蛛の巣メディアがどのようにして生まれたかを知ることは現在のメディア論を語るときに避けては通れないことである。

僕が勝手に極端に短く要約させていただくと以下。

インターネットの受精卵は「マンハッタン計画」です。そこに「冷戦」という精子がかけられて誕生しました。
「マンハッタン計画」とはヒロシマとナガサキに落とされた原爆を開発したプロジェクトです。「冷戦」とは昭和37年の「キューバ危機」をピークにして平成3年の「ソ連崩壊」まで続いた地球規模の政治現象です。

つまり、インターネットという最新鋭のメディアも結局は「政治=権力争い」とのからみで生まれてきたのだ。
すべてのメディアは「政治」から逃れることはできない。とても不幸で悲しいことだけど。

ちなみに、「冷戦」という現象は今でもアベシンゾーのような「ストレンジラブ政治家」の頭の中には現存するようですが。

『極端に短いインターネットの歴史』P49

浜野保樹さんがマルチメディアを論じていた頃も、「通信」と「放送」という二つの政治勢力がメディアの主導権争いをしていた。

平成12年(西暦2000年)頃、電通という会社にもその影響はあった。

クリエーティブセクションにいた僕は「通信」に偏っていき、メディアセクションにいた盟友ボブは「放送」のデジタル化対応をミッションにしていた。
僕が浜野さんを知ったのは『極端に短いインターネットの歴史』からだったが、盟友ボブは当時から浜野さんに注目していたようだ。さすが先達。

今世紀の初頭、ボブはニューメディアが「放送=テレビ」にもたらす大波と格闘していて、僕は「通信=ネット」がもたらした新しい表現の可能性に驚喜して「ムツゴロウ動物王国」の犬たちと遊んでいたとさ。それはまた別の物語。

ナポリタンマスチフとメキシカンヘアレス

グレートピレニーズ

閑話休題。この話はメディア論だった。
僕は政治が嫌いなので僕の好きな「本というメディア」の話に切り替えよう。

メディアには中身(コンセプト)と器(コンテナ)がある。
本の中身は様々なジャンルがあるが、ここのところ僕は小説をよく読んでいる。
おもろい小説に身をまかせて一気読みするのは昔から変わらない快楽である。

で、昭和27年生まれの田中文夫は昭和33年生まれの柏木イクの物語に惚れ込んでしまった。
『昭和の犬』(姫野カオルコ/幻冬舎)。第150回直木賞受賞作。
まずは中身の話をする。最近の直木賞と芥川賞はKindleで読めるのでとても便利だ。


この小説は以下のような人にお勧めです。

昭和25年から昭和35年までに生まれて、犬が好きな人。
滋賀県生まれで、犬が好きな人。
テレビに緞帳が掛かっていた頃のテレビ番組を覚えていて、犬が好きな人。
昭和の15年戦争に関心があって、犬が好きな人。
自分はちょっと変人かなと思っていて、犬が好きな人。
対人関係の機微に敏感で、犬が好きな人。
ワイマラナーと聞いてその優美な肢体が目に浮かぶ人で、犬が好きな人。
職人技の小説的レトリックが好きで、犬が好きな人。
華麗な文体が好きで、犬が好きな人。


これらの条件にほとんどあてはまる僕(滋賀県生まれではない)が『昭和の犬』をKindleで読んだらハイライトだらけになった。
僕は本を購入するとき、紙と電子、両方の器が選べるなら、迷わずに電子を選ぶ。その理由のひとつが、ハイライトとかメモとかしおりとか言う「書き込み機能」にある。
紙の本にマーカーや鉛筆で書き込みをする人は多い。でも僕はなぜかしたことはない。
電子なら、何の遠慮もいらず、好きなだけ書き込みができる。



これ以上は中身に触れません。姫野さんのビジネス上、問題になるので。


確かに、あの浅田次郎が「直木賞がねじ伏せられた」というのも納得できる中身です。


次は器の話をしよう。
紙で買った本をまた電子で買い直したことはあったが、その逆をしたのは初めてだ。


もちろん、中身がとても魅力的だったからなのだが、どうしても紙で確かめたいことがあった。
この本には小説のくせに脚注がついている。電子の場合、クリックしたら脚注に飛んでいくので読みやすい。でも、紙の本では一体どういうレイアウトをしているのか気になってしかたなかった。



なるほど。紙では脚注は各ページの下にレイアウトしたのか。しかも※印なしで。

それがどうした、と言われたらそれまでなのだが、「本というメディア」が器の端境期にある今、「神は細部に宿りたまう」という類のこだわりは検証していくべきだと思う。

富田倫生さんも浜野保樹さんも、その種の細部で日々ご苦労をされてきたことだろう。そして、彼らの遺志を継ぐ萩野正昭さんは毎日、電子本という紙の本から出た器の完成度を上げるために奮闘されていることだろう。

紙という「藍」から出た電子という「青」を藍より青くするために。

「青は藍よりいでて、藍よりも青し」は富田倫生さんの座右の銘だったと萩野さんが言っている。
青である電子本は藍である紙本を時々は振り返る必要があるだろう。

『昭和の犬』の場合は、紙で見ると発見があった。


紙と電子では表紙カバーのデザインが違っている。
思うに、これは紙で使っている犬の写真のデジタル著作権がクリアーできなかったのではないか。まあ、それはよしとしよう。

でも、紙の本で強調されている“Perspective Kid”という副題が電子ではほとんど見えないのは問題ですな。


この副題には「遠景で見た昭和の子供」、あるいは「遠近法で見えてきた私の犬」というような小説家の意図が隠されているはずだ。
それを紙と電子で装丁デザインが変わったからと言ってネグレクトするのはNGですな。
モノクロのKindleで見たらほとんど見えないではないか。

そのNG度はNHKラジオ第一放送が「都知事選中は脱原発にメンションするなかれ」と言った事実と同程度だと僕は思う。

『昭和の犬』というコンセプトに関しては、紙という器の勝ちですね。


僕は昭和27年生まれです。願いは「我是日々好々爺」です。
でも、まだまだそうも言ってられないみたいなので、今月もまた言いたいことを言ってしまいました。

昭和という時代から四半世紀を過ぎても、この列島のあちこちには「昭和の残照」がある。
それが、ほんわかと温かいものならいいのだが、きな臭い「残臭」になりつつあるのは困ったものだ。
平成生まれの皆さん、今こそ、メディア・リテラシーを!
そんなことを思いつつ、最後の引用です。


『昭和の犬』の昭和33年生まれの柏木イク。その伯母は「大陸満州公主領」にいた。

僕の頭が、また「満州」に戻ったところで、おあとがよろしいようで。

「時代を変えたのは技術ではありません。新しいメディアが唯一成しうることは、時代精神に応えて変化を促進することだけです」 
(『本の未来』/富田倫生/青空文庫)