2014年4月30日水曜日

《棚田団、南相馬に行く》2013年3月記

この原稿は『上山集楽物語』の草稿として、2013年3月に書いたものです。内容は2012年3月31日の南相馬訪問に関してです。2014年3月31日、僕は丸2年ぶりに南相馬に行きました。その文脈を整理するために写真をつけてアップしておきます


棚田団は「日本を代表する」という形容詞がつく人たちともオープン&フラットに繋がっている。
アート・ディレクター、水谷孝次。事業家、熊野英介、そして思想家、塩見直紀。
 
半農半X研究所の塩見は上山から北東に110キロ離れた綾部市をベースにして混沌とする時代を見通す思想を発信し続けている。彼が毎日、届けてくれる言葉に棚田団はインスパイアされていく。

僕は2012年3月11日に塩見直紀からもらった言葉に背中を押された。
数日前、こんなことばが浮かんできました。
持っている弾(たま)をすべて使え。
やりたいと思っていることがあるなら
いつかやれたらと、あとに置いておかず、
いま行うこと、使ってしまうこと。
弾がなくなったときはきっと
新しい弾を神さまが用意してくださいます。
ぼくもあとにとっておかず、
撃っていきますね。
「持ち弾をすべて使え」
心からやりたいと思うことがあるなら、それをあとで使おうと思わず、小出しにせず、タイミングを計らず、どんどん使っていこう、と塩見はいつもの物静かなトーンで世の中を鼓舞している。

226集会(〝復興から見えるあなたの未来〟討論会)で縁脈の深まった「東北コミュニティの未来・志縁プロジェクト」のヒロちゃん(中山弘)から棚田団にお誘いが来ていた。

南相馬に来てくれませんか。協創LLP、棚田団として福島の子供たちのためのイベントに参加してくれませんか。

ヒロちゃんは3・11直後に南相馬に入った。美しい里山とは相いれないものが大量にばらまかれた緊迫する情況の中で南相馬の良心と出会い、ヒロシマ、ナガサキに続いたフクシマの悲劇のために何ができるかを考え続けている男だ。

南相馬に来てくれませんか。外で自由に遊べない子供たちのために春休みイベントを開きます。「南相馬みんな共和国」です。そこに大阪のみんなも来てください。タコ焼きを焼いて、南相馬の声を聞き、おとな大学対話集会に出てほしいのですが、どうですか。


このお誘いにまず飛び出したのは「笑顔のまさやん」(畑田昌輝)だった。タコ焼きをしてくれ、と言われたら世界の果てまで飛んでいく男だ。彼は子供たちと対話しながらタコ焼きを焼き続けた長いキャリアがある。そして226集会で、アホ代表としてやるべきことをやる、と宣言した自負があった。

僕は後に続くことにした。持ち弾をすべて使うことにしたのだ。

子供たちの未来とは相反するものと対峙する最前線で「信頼を見えるカタチに」というプレゼンをしてください、というヒロちゃんの要請を断れるはずがなかった。

フミメイが行くなら、と盟友ボブ(原田明)も手を挙げた。
そこにまた援軍が現れる。東近江の縁脈女王つっつん(有本忍)だ。
とある会議の席でたまたま棚田団と出会った嵐の夜、そのまま棚田団大阪ベースである西成の無心庵に拉致されて棚田団員と見なされた素敵な女性だ。

彼女は関西から福島までの深夜バスはどこも満席で行かなくてもいいかな、と思っていたのに、岐阜発福島行きのバスに空席があってしもうたわ、と残念そうに言いながら南相馬に現れた。
琵琶湖のそばで福井の原発群ににらまれて暮らしている滋賀県民を代表して来てくれたのだろう。

「百の論よりひとつの現場」
このプリンシプルの元で、長駆、大阪から南相馬まで棚田団メンバー有志が走る。

その行動を上山集楽も見守ってくれている。確かにその視線を感じる。この感覚は楽ではない現場を楽しく乗り切るためのお守りのようなものである。

南相馬は厳しい現場だった。そこに棚田団が揃うとヒロちゃんはすぐに伝統の祭りが毎年、行われていた馬追祭場に案内してくれる。まずは「るるぷうポーズ」で気合いを入れる、いや、笑いを入れる。


そして、ヒロちゃんは棚田団の無邪気な笑顔の下に線量計を置いた。
ぴぴぴと鳴って毎時1マイクロシーベルトを超えていく。棚田団は線量計というものを初めて見た。日常性の中にベクレルとシーベルトと線量計があるのが南相馬の文脈である。


「南相馬みんな共和国」の会場である万葉ふれあいセンターに行く前に、福島第一原発から北へ20キロ、国道6号線の封鎖線に行く。
原発に向かって右を向くと、そこは豊かな農地だったとしか思えない。バリケードの延長線には水路が流れている。その土手の草は綺麗に刈られている。誰がどんな気持ちで草を刈ったのだろうか。


棚田団は上山集楽で耕作放棄地を再生している。そこも厳しい現場だ。だが、そこは自分たちの意志で乗り越えることができる現場だ。

南相馬市内、フクイチから北へ20キロ、国道6号線の西に広がる農地はどうみても耕作放棄地ではない。そこを耕作放棄したかった農民などいなかったはずだ。
封鎖線に繋がる歩道には「花と希望を育てる会」が植えた黄色い花が咲いていた。


南相馬市鹿島区、万葉ふれあいセンター。2012年3月31日。
「みんな共和国」に子供たちが集まってくる。体育館で思い切り遊ぶ。はじける。

壁に南相馬市立図書館貸出ランキングが貼ってある。第二位は「内部被曝の真実」(児玉龍彦)だ。


会場の入口には「たこやきパーティ、3月31日(土)お昼ごろ、おなかいっぱいたこやき、食べよ~!」という張り紙も前日からしてあった。


棚田団代表タコヤキストの出番は今だ。
まさやんが粉を牛乳と混ぜる。タコとネギとタコせんべいはスタンバイOK。鉄板が温まると子供たちが集まってくる。まさやんは南相馬の子供たちと対話しながらタコ焼きを熟練の技で返していく。ボブとつっつんも的確にアシストする。つながろう南相馬!のイケメンバーテンダー、須藤栄治もタコ焼きをほおばる。



まさやんの周りに子供たちの笑顔が集まる。子供も自分でタコ焼きをつくりながらまさやんのアホトークを聞いている。

食べることは笑うことなのだ。カシコがいくらカシコそうなことを言っても、一個のタコ焼きの丸さと柔らかさと暖かさにはかなわないのかもしれない。


タコ焼きタイムのあとは「おとな大学」。
まさやんの勢いに感化された英ちゃんも南三陸から南相馬に駆けつけて、近代社会が置き忘れた自然と社会、人間の関係性を復活せよ、と訴える。

そして森と農を奪われた人々の熱いトークが続く。

チェルノブイリの事例を研究してヒマワリの除染効果をレポートする原町有機稲作研究会の杉内さん。
社団法人除染研究所理事の箱崎さんの話もずしりとした重みを持っている。


我々は前例のない事態に取り組んでいる。
南相馬には全世界が注目している。
最先端の除染モデルは、今後、南相馬から世界に向けて発信されるのだ。
311前にあたりまえであった世界に戻ることはもうできない。
我々は311を超える「新しいあたりまえ」をつくっていかねばならない。
そのためには、日本列島がオール・ジャパンで取り組むべきだ。

列島の西方で、どちらかといえば、のほほんと生きている地域から来た棚田団の胸のうちに「新しいあたりまえ」という言葉が刻まれる。

まさやんが「笑顔があればなんでもできる、笑顔でやればなんでもできる」を信条とする自分の大阪での活動を紹介する。
難しい顔をして険しい討論も大切ですが、納得のいかない情況、どうしようもない現状があるなかでも笑顔があればなんでもできますねん。

眉間にシワを寄せるのはやめましょう、と主張するまさやんに引っ張られて、ダイニングバー「だいこんや」の須藤栄治も飛び入りプレゼンする。

地元の人はなぜ声を上げないのですか、と聞かれるのです。
でも、自分たちは最前線で身体を張っているのに、これ以上、声を上げろって何を求めているのですか、と言いたい。
今、南相馬ではネガティブなものばかりが出てきて疲弊しています。
そうではなくて、プラスのこともやっていかねば、という思いで
「ありがとうからはじめよう!」という活動をスタートしました。
フミメイとボブは前日の夜、須藤のバーで食事をしていた。カウンターの端には彼のこんな言葉が置いてあった。
もし、命というものが自分の為だけに使われるなら命は途切れてしまう。
もし、私という命が誰かの命を励ませば、その命はつながって行く。
被災地に限らず皆、必死に日々の生活を送っています。
〈ありがとう〉からはじめよう! から始まった活動の最終目標は、
「想いをつなぎ・命をつなぐ」ことです。
誰かのために必死で頑張ってくれている人がいて、忘れてはいけない命がある。
大切な人を失った人、仕事や目標を失った人、生きる事で精一杯な人。
みんなそれぞれ、つなぐことができる想いがあり、命があります!
被災者は敗者ではなく、新時代の幕開けを告げる使命を背負った勇者なのです。
いつの日かやさしく〈ありがとう〉と言える日を夢見て共に頑張りましょう!

「被災地に限らず皆、日々の生活を必死に送っています」このフレーズに救われる思いがするな、とボブがため息まじりに言う。

「そうやな、棚田団の連中だって被災地に行きたいという思いは強いやろね。でも彼らはそれぞれの事情を抱えて自分の場所で必死で生きている。なかなか被災地に来られない。
それでも南相馬にいる僕らと今、この瞬間も心が繋がっているのは間違いない。それをこのバーのマスターは分かってくれているみたいやね」
僕も同感した。

この須藤メッセージを僕は自分のプレゼンツールに組みこんで、最前線との対話に臨んだ。
 
被災地の未来が自分の未来になる。
復興には信頼できるコミュニケーションが必要だ。
信頼を担保したコミュニケーションは力になる。
 
226集会と同じロジックで上山集楽とメリープロジェクトとのコラボレーションを紹介し、協創エルエルピーのひらがな読み、「るるぷう」というコミュニケーションを披露する。
 
ただし、もちろん「るるぷう」だけで南相馬の深い傷が癒やされるとは思わない。非被災地の日常性の中に被災地への想いを自分ごととして取りこむこと。どうすればそれができるのか、仲間たちといっしょに考えていきたい。
人は「出来事多様性」の中で
それぞれの事情を抱えて生きている。
その日常性の中で
想像力と創造力だけは失わずに
「足が絡まっても踊る続ける」のが
信頼を見えるカタチにする第一歩だ。
僕はこの最前線でこんな能天気な話をしていいのだろうか、と冷や汗をかきつつプレゼンを締めくくろうとしていた。最後に、自分がそのとき、一番、素直に感じていたことを付け加えて。

「第一歩って僕が今ここにいることなんですね。そして僕がここにいるのは笑顔のまさやんが飛び出したから。僕が続いたら、後からボブとつっつんもフォローしてきた。そして今、この場にはいないけれど、棚田団のひとりひとりがここにいる僕たちを見守っていてくれている、そんな信頼関係をベースにして、僕たちなりの復興への道筋を探して行きたいと思います」

南相馬みんな共和国の会議室スクリーンに、僕は棚田団メンバーの名前をひとりひとり置いていった。

眉毛の太い東北の男と女は本当に心やさしい。
おとな大学の締めくくりでボブの指導のもと、るるぷうポーズで記念写真を撮ってくれた時、棚田団は心の底からそう思った。



2014年4月21日月曜日

山里《内山節》と里山《塩見直紀》

半農半X研究所代表、塩見直紀と山里の哲学者、内山節のトークセッションがあった。
2014年4月6日、豊田市の豊森なりわい塾公開講座。
「これからの社会のカタチ~シアワセをどこに求めるのか」

尊敬する二人の思想家の話を聞き逃すわけにはいかない。
僕は半農半X研究所主任研究員の肩書きをもらっているのだから。

塩見さんの話は何度も聞いている。もはや、追っかけといってもいいくらいだ。それでも彼の話は聞くたびに発見がある。
半農半著の星川淳さんは、最近の塩見講演を「磨き抜かれた腰の低さ」と表現している。言い得て妙である。
今はスライドショーで写真を見せながら話しているが、相変わらずA4一枚の塩見式レジュメも配布している。
このA4が実にこまめに更新されているのだ。細かい文字を追っていくと、半農半Xマニアにはたまらない。


内山さんに会ったのは、今回が初めてだった。
だが、この哲学者の著書は311以降、よく読んでいた。電通を脱藩し311が起こったあと、自分が何をするべきか迷ったときの指針となったのだ。


被災地の復興は土木的計画だけでは達成できない。
自分たちがつくっていきたい世界、自分たちの生きる世界は文学的に文化的に語られるべきだ。
復興とはまず死者と魂の次元で折り合いをつけるべきものだ。

内山が『文明の災禍』で展開した論旨に僕はかなりインスパイアされた。

文学的で文化的に語られる復興のためには、言葉の力が必要である。
この公開講座のあと、僕は彼らの本を読み直して、復興のための言葉を再探索した。

1950年生まれの内山節は岩魚と山女魚を愛する釣り人でもあったのだ。
彼の哲学の源流には「流れの思想」がある。貯水を旨とする「水の思想」ではなく。
山里の釣りを経験したことがある者は深く共感するだろう。

渓流魚となら僕も遊んだことがあった。上から読んでも下から読んでも「ムダなダム」にホームリバーを奪われた経験もある。

内山は山里である。群馬県上野村の山里で釣りをして畑を耕しながら思索する。
一方の塩見は京都府綾部市の里山である。「里山ねっと・あやべ」というポジションで、様々な半農半X的知性との交流を展開してきた。

山里と里山、両者の境界線がどこにあるかを勝手に解釈すれば、〝田んぼのありなし〟なのかもしれない。
田んぼがある里山は、理論的には自給自足が可能だ。ところが米を生産できない山里は他の地域との経済活動によって、主食を得る必要が生じる。
綾部のような平坦な田んぼが耕作できる地域と上野村のような森と畑と川の地域では、住民の精神性が若干は違ってくるのだろう。

山里と里山、そこに優劣をつける意味はない。が、事実として、日本列島には、ふたつの種類の共同体が古くから存在したということ。
そして2014年現在、そのような共同体の存在価値は大きくなる一方だということは認識しておきたい。

『上山集楽物語』を書いたとき、あとがきに入れたかった言葉がある。
私たちがつくれるものは小さな共同体である。その共同体のなかには強い結びつきをもっているものも、ゆるやかなものもあるだろう。明確な課題をもっているものも、結びつきを大事にしているだけのものもあっていい。その中身を問う必要はないし、生まれたり、壊れたりするものがあってもかまわない。ただしそれを共同体と呼ぶにはひとつの条件があることは確かである。それはそこに、ともに生きる世界があると感じられることだ。だから単なる利害の結びつきは共同体にならない。群れてはいても、ともに生きようとは感じられない世界は共同体ではないだろう。 
『共同体の基礎理論』(内山節)P168

内山節はこの講座でも、これからの社会のカタチを考えるためには《ともに生きる》べきだ、と強調していた。
ともに生きる世界を再構築するために徹底的に伝統回帰すべきだ、という発言は「日本人はキツネにだまされていた方がよかった」という思いにも繋がっているのかもしれない。


このアテンションが強いタイトルの本は、高度成長によって失われたものを考察している。

「自然」という言葉は明治時代の後半にネイチャーの訳語として「シゼン」として音読された。西欧的自然は、人間と対立し、人間が征服すべき存在だった。

それに対して、古来、日本人は自然をジネンと読んできた。自然をオノズカラシカリと解釈すれば、人間はその中に包み込まれるものとなる。

山川草木すべてに神仏が宿る、というコンテキストで、自然と結びあいながら生きてきた山里は高度成長とともに、その姿を変えていった。
そして、内山節は、その転換期、すなわちキツネと日本人のシアワセな共同幻想が崩壊したのは1965年だと規定している。

その1965年、昭和40年に生まれたのが塩見直紀である。
半農半Xという言葉を創出し、世の中に惜しみなく共有し始めたのが1995年頃。
この年は、日本のインターネット元年だと言われている。

今回、再読した塩見の本は『半農半Xな人生の歩き方88』。
この本には、今、彼がフェイスブック上で展開している「コトフォト」の原点がある。



内山節と塩見直紀、このエックス・ミーツ・エックスな対談のキーワードは《関係性》だった。
『文明の災禍』では、復興とは《関係の再創造》だと規定されている。
関係を結びながら自らをつくりだしていく行為は、人間の本質に属することであって、この本質を失ったとき人間は自らを破壊しはじめと考えた方がよいのではないだろうか。もしもそうだとするなら、復興は「関係の再創造」としてとらえられなければならないだろう。コミュニティの再建、再創造こそが復興なのである。そしてコミュニティを共同体と表現しなおせば、日本の伝統的な共同体は、自然と人間の、生者と死者の共同体としてつくられていたことを想起する必要がある。自然と人間がどのような関係を結ぶのか、生者と死者=自分たちの生きる世界をつくった先輩たちとどのような関係を結ぶのかが、復興の基盤にならなければいけないのである。なぜならこれらの関係をとおして、無事な人間の存在をつくりだしてきたのが、あるいはみつけだそうとしてきたのが、日本の社会だからである。 
『文明の災禍』P142
人と人、人と自然、生者と死者、都市と農山村、その関係性の総和がひとりひとりの人間の実体をつくる、と内山節は言う。

一方、塩見直紀の半農半Xは、「小さな農をベースに天職を探す生き型」である。
このよく知られた定義に加えて、最近の講演では《関係性》も強調されているように思える。


『半農半Xな人生の歩き方88』では、吉野弘の「生命は」という詩に添えて、以下のような記述がある。
半農半Xとは別のことばでいえば、関係性であると思っている。「生命は」は、半農の視点からも、半Xの視点からも半農半Xのことをよく表現していると思う。
生命は

その中に欠如を抱き

それを他者から満たしてもらうのだ

世界は多分

他者の総和

しかし

互いに

欠如を満たすなどとは

知りもせず

知らされもせず

ばらまかれている者同士

無関心でいられる間柄

ときに

うとましく思うことも許されている間柄

そのように

世界がゆるやかに構成されているのは

なぜ?

          「生命は」(吉野弘)引用者抜粋


また、塩見はXをクロスと読みかえて、《関係性の回復、融合・合流・和》の重要性も強調している。
いま、社会は電車の線路のように「=パラレル」で平行線状態。大事なのは「X(クロス)」すること、交わること、合流・融合することだ。Xという文字はふたつのバーが交差することで成り立っている。自分だけではなく、自分と社会というバーが交わることで生まれるもの、それがXなのだ。 
『半農半Xな人生の歩き方88』P78
内山節は《関係性の再創造》を「結び直し」という素敵な言葉で語っていた。
「繋ぐ」よりも「結ぶ」のほうが、より主体的で志を感じる。



僕の肩書きである《コンテキスター》もコンテキスト(文脈)を繋ぐ者、ではなく、コンテキストを結び直す者と定義し直したくなってきた。

インターネットの世界も“node”ノード=結び目のゆるやかな結合で成立しているのだから、「繋ぐ」よりも「結ぶ」の方が、より今日的なのであろう。

近代社会は、経済と生活と文化と信仰をばらばらにしてしまった。その限界を克服するために「結び直し」をしていこう。
自然との結び直し、他者の営みとの結び直し、都市と農漁村との結び直し……。
結び直して、数字=経済だけではないシアワセな関係をつくっていくこと。

内山節の主張は塩見直紀のそれと重なっていく。
「生命は生命と出会うと輝き出る」。歴史家、ミシュレのことばだ。人は一人で生きているのではない。出会うことによって人がいかに輝きだすかをよくあらわしたことばだと思う。『星の王子さま』で有名なサン・テグジュペリは「あなたは結び目であって、その結び合わせによって存在している」というすばらしいことばを遺している。そう、ぼくたちは結び目なのだ。そのようにイメージして生きることが大事なのだと思う。 
『半農半Xな人生の歩き方88』P78
内山は言う。
人と自然を結び直すことから、シアワセを育む倫理観が生まれる。
どのような他者も犠牲にしないという倫理観。
ともに生きるなら、やってはいけないことがある、という倫理観。

塩見は言う。
それぞれの使命多様性=ひとりひとりのXを持ち寄って組み合わせることによって、世界は変わる。
Xを育む半農とは、小さな農業のみを指すのではない。別のことばでいえば、自然感受性なのだ。自然からのメッセージを受けとめ、身体で表現するようなものだ。

311で、この列島は「やってはいけないこと」をやってきたことが露呈してしまった。塩見の言葉を借りれば「最大級の罪を犯してしまった私たち」は、シアワセをどこに求めるのか?

その答えは、列島民ひとりひとりが模索して試行していくしかないだろう。
残念ながら、安倍晋三は《関係性の結び直し》とは逆行している。

客観性を無視した自分に都合のいい物語だけを主張する反知性主義が横行している現状。
長い時間幅で思考することができなくなり、いまの都合だけを、あるいはいまの愉悦だけを求める思考がこの社会を劣化させている、と内山節は嘆いている。

「稼ぎつつ家庭を築きつつ社会を変えつつ」生きることは、たやすいことではない。



それでも、「これからの社会のカタチ」を考えるため、はじめの一歩を踏み出さないことには、子供たちに申し訳が立たない。

自分と自然、自分と社会をX=クロスさせて、関係性を結び直していくこと。

内山節と塩見直紀、ふたりの先達をクロスさせて、その言葉に耳を傾ける機会を与えてくれた「豊森なりわい塾」に感謝しつつ、僕はコンテキスター業務を続けていくことにしよう。

塩見直紀は、半農半Xを提唱して以来、天地有情にXが見えてきているらしい。
「エックス・フォト・シリーズ」から、人と人の関係性の回復を願う1枚を……。