2016年1月31日日曜日

『国つ神と半農半X・奥出雲篇』

結界の中へ


奥出雲には結界がある。確かにある。
「田樂荘(だらくそう)」の狭き門の中は異次元だった。そこには希代の語り部がいる。
白山洋光(しらやまひろみつ)さん。「オーガニック」の申し子である。
彼のナラティブは時間の流れを忘れさせた。


出雲から雲南を経てさらに南へ下ると奥出雲に至る。八岐大蛇にたとえられた斐伊川は奥出雲の船通山から流れ出ている。そこはもう鳥取県境であり、広島県も近い。

高天原から追放されたスサノオは、この山に降り立った。そして大活劇の結果、クシナダヒメとともに八重垣という結界の中に居を構えた。

それから長い時が流れて、今、白山洋光さんは里香(りか)さんとともに、奥出雲の「田樂荘」という結界をベースにして自然農あるいは自然栽培に取り組んでいる。米はもちろんイセヒカリである。

「結界」などいう言葉を使うと、またコンテキスターが訳のわからんことを言いだしたと思われるかもしれない。だが、「田樂荘」に宿泊した僕にとっては、「結界内取材」をさせていただいた、というのが体験実感なのだ。


「田樂荘」は一般的には体験型民泊である。

「古民家暮らし体験・囲炉裏サロン・いきものいきる衣食住」というキャッチフレーズが手書きのチラシには書いてある。



僕が、このチラシをもらい、オーガニックコットンのタオルを買ったのは2015年8月29日。
大阪でも「しまねU・Iターンフェア」が開催されたときだった。
そこで白山さんに初めて会う。初めてではないような気がした。

『国つ神と半農半X』の取材を開始して以来、シラヤマという名前はよく聞いていた。
ある人は白山さんのことを10万人にひとりの人、と表現していた。

そんな人に取材申込みをするのは、こちらも心構えがいるのだろう、と思いつつ、僕は会場に向かう。
いきなり白山さんの方から僕を見つけてくれた。
「ようやく会えた!」、お互いから声が出る。僕の構えが解けた。

「ふるさと島根定住財団」のプレゼンターとしてU・Iターンの先輩事例発表をする白山さん。
その人は、〝自然農・オーガニックコットンプロジェクト・古民家民泊(ツーリズム)〟という三つの看板を背負っていた。先輩は島根移住を考えているオーディエンスに言う。

「自然農をやっている人は日本の農業者の中で0.01%くらい、貴重な変人です。僕もその変人になってしまったので、皆さん、守ってくださいね」

大笑いした。だって、僕も紛う方なき変人だもの。
コンテキスターの取材は変人が変人を呼び、へそ曲がりがへそ曲がりを讃えるシリーズなのだから。
僕は田樂荘の予約をした。


9月14日、僕は奥出雲に走る。その昔、亀嵩駅の蕎麦を食ったことがあるな、と思いつつ。
田樂荘は集落のメインストリートに面している。が、森は深い。


田樂荘の囲炉裏端に座って、まず僕は『国つ神と半農半X』の取材意図をプレゼンテーションする。白山夫妻との話は長くなりそうな予感がした。それなら、僕はまず自分の立ち位置を明確にしておいた方がいい。

電通を早期退職したこと。
中央に権力を集めたがる勢力を「天つ神」と規定していること。それに対して、土着して山川草木に宿る勢力を「国つ神」と考えていること。半農半Xという言霊のこと。白山さんはしっかり聞いてくれた。


シラヤマ・ライブ開演


そして、シラヤマ・ライブが始まった。
ベースを刻むのは「オーガニック」のリズム。メロディラインは「もののけ姫アフターストーリー」。
ときどきフミメイの調子はずれの合いの手が入り、ブルースは加速していく。

そうなのだ。シラヤマさんのしゃべりは実に音楽的である。次から次へとインプロヴィゼーションが展開される。

白山洋光は半農半オーガニック・プレイヤーである。
Playerは演奏し遊ぶ。Prayerは祈る。


そのプレイの合間には、ときどき木村秋則が現れた。プレイヤーが「林檎の木村さん」の口調になるとき、僕は前のめりになった。僕も木村さんの笑顔に引き込まれたひとりだから。


「林檎の木村さんにはじめて会ったときに、白山と申しますと言ったら、シラヤマくん、ああそう、シラヤマくん、ああ、シラヤマくんは島根県に変人会をつくるのね、よろしく、うふうふうふ、なんでも応援するからね!これからはね、変人が世界を変えるの。歴史的にみても変人しか世界を変えてないから。変人がいなけりゃ、歴史は変わってないのよ、変人がいなけりゃ、今の世はないのよ」

いやはや、木村さんは変人中の変人、と白山さんは言う。あんたもだがね、と僕は思う。
しばらく、白山洋光変人ログを追いかけてみよう。

1972年千葉県生まれ。15歳で元服するという白山家の家訓にしたがって、高校入学と同時に様々なアルバイトをしたという。
18歳で東京ディズニーランドを運営するオリエンタルランドに就職。飲食部門を中心にタフな働き方をした。
20歳で身体を壊し、内臓を取る大手術をして「君は40歳までしか生きられない」と言われたそうだ。

ディズニーランドで見聞きしたことは、シラヤマ・ライブの節々に出てくる……低い音階で。

白山青年は「カリブの海賊」アトラクションのそばにあるレストランを運営するスタッフだった。いつもディキシーランドジャズが聞こえていた。そこはニューオーリンズのようだったという。

ニューオーリンズといえば、小泉八雲がいたこともある町だ。
小さい頃は祖父母がいたお寺で育った洋光さんは、昔から小泉八雲が大好きだったそうである。特に怪談「耳なし芳一」が。
ニューオーリンズはまたウォルト・ディズニーとも親交があったルイ・アームストロングの故郷でもあった。

「だから、僕はディズニーに休職届けをだしてニューオーリンズに行ってしまったんです。ストリートでギターを持って投銭ライブをやって食ってみたんです」

だから、と簡単に言うが、いきなりニューオーリンズである。ロサンジェルスではなく。
このあたりから白山さんの人生は、土着の匂いがし始めたようだ。
土に着くことは「オーガニック」の始まりでもある。
そして半農半Xもまた土着がスタートラインだ。

「オーガニック」とは、とても定義がしにくい言葉である。または誤解されている。
コンテキスターは、シラヤマ・ライブを聞きながら「オーガニック」の文脈を考え続けた。

たとえば、大辞林によれば「オーガニック」は以下。
【オーガニック】
有機栽培、有機農業。また、その農産物。広く、畜産品を含めた生産物をいう場合がある。
これでは、白山さんのいう「オーガニック」の全体像はとらえられない。
ウィズダム英和辞典に知恵を借りよう。
【organic】
有機的な、相互に関連のある/自然でゆっくりとした/本質的な、生来の、基本的な
「オーガニック」とは、すなわち有機農業、つまり「有機質肥料」のみを加える農業という解釈では狭すぎる。
そのことは文脈レポートのラストで書くことにして、今はシラヤマ・ライブである。ライフ・ログである。


『もののけ姫』とのセッション


1997年、24歳の白山さんは『もののけ姫』を見た。それが会社員から「降りてゆく生き方」のきっかけになったという。その後、人生で悩みが生じたとき、何度も何度も『もののけ姫』を見る。

映画パンプレットより。©1997二馬力・TNDG
この映画なら、僕も何度も見ている。
『もののけ姫』は、フミメイ流にいえば、森に棲む国つ神(サン)とタタラ場を率いる天つ神(エボシ)の闘いを描いている。そこにアシタカという仲裁者が登場する。

映画のオープニングでは、こういうタイトルが出てくる。
〝むかし、この国は深い森におおわれ、そこには太古からの神々がすんでいた〟
この神々は、どう考えても「国つ神」のことである。

映画パンプレットより。©1997二馬力・TNDG
白山洋光さんは『もののけ姫』を見るたびに、日本の国と土と自分のアイデンティティを考え続けたのだろう。

1998年、25歳でオリエンタルランドを退職して、浦安でブルースバーを開く。
その名は「ヴードゥ、VOODOO!」 実にあやしいネーミングである。

しかも看板のないバー。宣伝もない。キャンドルだけがある。店主と客の密着したライブ空間がある。

口コミだけで集まる客は夜な夜な、ブルースを唄いながら藁人形を囲んで……。というふうに想像したくなるが、バーカウンターの中は実直な食べ物と酒だけを提供していた、と白山さんは言う。

「ディズニーで、食品の仕入れをしていたときは安価で形のきれいなものばかりを求めていた。味は調味料でなんとでもなるので。そこでいろいろ飲食品業界の裏事情なんかも見ました。その反動で、自分で店をやったときは、ほんとうにいいもの、安心安全な酒と食材を求めて海外にまで買い付けに行っていました」

そして、28歳のとき、スペインの最上級のワイン蔵で言われた。
「シラヤマ、お前はお前の国がどれだけいい酒をつくれるのかを知らないのか?ワインなんてのは単純な菌でできているのに、日本の酒は複雑な菌で醸されている。それに醤油や味噌という発酵技術があるのに、こんなところに何を勉強しに来ているんだ、今すぐ、帰れ!」

白山さんはグローバルからローカルにシフトした。しかし、日本中の酒蔵を回っても今世紀の始まりの頃には、ホンモノの日本酒はなかったという。

2003年、30歳で「ヴードゥ」を閉店して、千葉の山の中で自給自足生活を試みる。
この年、塩見直紀さんは『半農半Xという生き方』を上梓。白山さんも、「半農半X」とファーストコンタクトした。「我が意を得たり!」と思ったそうである。

彼は、この頃すでに「林檎の木村さん」や「ナチュラルハーモニーの河名さん」とも関わっていたという。
自然農や自然栽培の大先輩に教えを乞い、同志と言われるようになっていた。その流れの中で、「半農半X」という言葉に出会い、新しい生き方をデザインしていく追い風になると思った。

ただし、その言葉が「スローフード」や「ロハス」のように一過性のファッションにはなってほしくない、と願ったそうだ。
半農半X研究所の主任研究員は思う。
大丈夫です。13年の時を経て「半農半X」はファッションではなくパッションになっていますよ。

2004年、アシタカはサンに出合った。否、白山洋光が野津里香に出合った。
幼い頃から小泉八雲にシンパシーを抱き、『もののけ姫』に光と陰を見ていた洋光さんは里香さんを伴侶とする。

野津という名字は僕にとっては馴染みのものだ。野津里香さんは松江の生まれである。

千葉で出合った2人は「丁寧な暮らし」をするために、島根に戻る。
2006年、小泉八雲が愛した町で「もののけ姫アフターストーリー」が始まった。

『もののけ姫』は、アシタカがサンに言った「共に生きよう」というセリフで終わる。
白山さんは、「荒ぶる神々と人間との闘い」(宮崎駿)が、その後どうなったのかを見たかったのだ。そして、あえて自分でその物語の続きをつくろうと決心する。

揺れながら降りてゆく


6年後の2011年、物語の舞台は奥出雲に移ろうとしていた。
『もののけ姫』で天つ神の砦になるタタラ場があった地域。国つ神神話が生まれた森と川があるところ。

奥出雲こそが、「もののけ姫アフターストーリー」を構築する最良にして最後のステージだと判断した白山夫妻は、シナリオを書き始める。

そのオープニングでふたりは効果的な演出を考えていた。『降りてゆく生き方』という映画を名刺代わりにしようとしたのである。
「無肥料・自然栽培」と「発酵と腐敗」を世界観にしている映画の上映会を奥出雲は仁多でやろうと企画を始めた。ナチュラルハーモニーの河名秀郎さんの活動にも参画していた。

3月14日にはプロデューサとの打ち合わせをかねて、東京での上映会のチケットも購入していたそうだ。
『降りてゆく生き方』という映画はDVDもない。各地で開かれる自主上映会のみが映画を見る手段である。


ところが、である。ここでアフターストーリーは劇的な展開を見せる。いや、世界中がひっくりかえった。

2011年3月11日。白山夫妻が奥出雲の舞台に立つ前に、その日がきた。

「いきなり封印がばーんと解けた!」
白山さんは、あの日のことをこう表現している。出雲の国は揺れなかったが、アシタカの故郷とされる大和の東の方は激震した。

それでも、3月14日に彼は出雲空港から東京に飛んだ。上映会は中止になっていた。
こんなときにどうして来たのですか?と驚くスタッフに覚悟のほどを白山さんは語った。

「出雲から東京に飛ぶ最後の便に乗れた。もしまた地震がきて、僕が死んだら、それまでの運命だと妻と家族に言いました。まだ使命があるなら、僕は自然栽培を続けるし、映画の上映会をしたい……」

3月15日には余震が続くなかで『降りてゆく生き方』のスタッフととことん話し合ったという。

この日、福島第一原発は最悪の事態を迎えていた。前日の3号機の水素爆発に続いて4号機の建屋も爆発。2号機の格納容器も損傷する。
ツイッターでは「メルトダウン」という言葉を発信した人に「デマをいうな」というバッシングが飛び交っていた。

その頃、僕はツイッターに張り付いて、東北と福島情報のキュレーションを続けていた。
一週間前には、松江にいて、塩見直紀「半農半X講演会」と村楽有限責任事業組合の設立準備サミットで興奮していたのに。

白山さんに僕が3月8日に書いた文章を見せた。この人なら、僕が書いたことを理解してくれると思ったので。
むかしむかし、この列島には
国つ神という互恵と自産自消で協創する
やさしい神様がいました。
そこへ天つ神という大量生産、大量消費で
競争するのが大好きな神様が降臨しました。
天つ神はこの列島を豊かにしたらしいのですが、
なんだかおかしくなってきた今日この頃。
そろそろ国つ神が逆襲するときです。 
2011年3月8日、「日本メリーランド計画」のための企画書前文。
コンテキスター・フミメイ
『降りてゆく生き方』が武田鉄矢さんとともに奥出雲に来たのは2011年の5月2日。会場のカルチャープラザ仁多には600人以上の同志が集まる。
それまで、隠れていた島根県の自然農・自然栽培に関心を持っている人が顕在化して、一気にネットワークを組んだ。

311は、奥出雲で、変人たちの封印も解いたのだった。
同じ頃、島根県に「半農半X」という言葉が浸透しようとしていた。

八百万の神とグレーゾーン


311で世の中は変わった。
日本列島の東が混沌としているとき、西にある島の根っこでは古くて新しい「八百万の神」が、うごめきはじめる。

コンテキスターにとって「八百万の神」とは「国つ神」とほぼ同義であった。上から下にタテに繋がる神ではなく、ヨコに広がる多様性の神々のこと。

ところが、シラヤマ・ライブの中で、このプレイヤーは意外なことを言った。
「自然農というのは、その土地にしかいない八百万の神と言われる菌と共生していく世界です」

「えっ、八百万の神って菌なんですか?」僕は聞く。
「はい、杜氏さんたちは神様が菌だと。麹の語源はかむじ、その前の言葉がかむだちだという説がある。かみがたつ、かびだち、かむだち、かむじ、こうじ……。神というのは人間が目に見えないモノを尊んでいった言葉です」

さらに発酵学ではこういうことが言われているそうだ。
「良い菌だけじゃだめなんだ、悪い菌がいるから良い菌が引き立つ。人間の社会も子供たちも、すべてが白だと不自然だろう」

良い菌も悪い菌もいるから八百万の神。
そして、八百万の神がいちばん育ちやすい環境は「八雲立つ」出雲なのだ。
「八雲立つ」は比喩ではない。次々と雲が出てくる山の陰にある地域は灰色で湿度が高い。
いつも晴れているところより、グレーゾーンの世界を菌は好むようだ。

「欝だった小泉八雲が松江を愛したように、同じ傾向があったわたしも島根に引き寄せられましたね。奥出雲に住もうと考えていたとき、有名な仁多米農家の涌き水を飲ませてもらいました。世界中でいろんな水を飲んできたけど、この水がどんぴしゃりでした。もうDNAが騒いだ。あっ、これだな!」
白い山の血筋をひく男がグレーゾーンで生きていこう、と決意した。

奥出雲で独自の物語を始めた白山夫妻は、先輩たちの言葉を傾聴しながら、徐々に自分たちの「自然と共生する農」を描き始めた。

自然と共生する基盤を固めるためには、まず地域と共生する必要がある。
お手本はお隣の雲南にいらっしゃる。木次(きすき)乳業の佐藤忠吉さん。〝自主独立農民〟である。
大先輩からこんなことを教えられたそうだ。

「シラヤマ、あせるな。しゃーねえ、しゃーねえで、性根(しょーね)を張って二足の草鞋で生きていけ。清濁の川に両方、足をつっこんでいったほうがいい」


奥出雲では、白か黒かの生き方は通用しない、と白山さんは言う。

そういえば、出雲弁はもごもごとくぐもっていて、はっきりものごとが伝わってこないがあ……と僕も思う。

話のおわりに「~しちょうがあ……」という言い回しを出雲では聞くことが多い。
「~しているが、○○もする」という単純な接続助詞とは、ちょっと違う。語尾を曖昧にして断定を避ける話法のような気がする。

でも、それでいいのだ、アシタカとサンの共生は、八百万の神が好むグレーゾーンから始まる。
はっきりしない、だからしなやかな生き方に自分たちも次第に醸されてきた、と夫妻は笑う。


グレーゾーンというのはXのことでもある、と僕は思う。
半農半XのXって何ですか? と問われたら「Xはクロスです」と答えることもある。
平行線になっている対立があるとき、交わる点を探していくことでもある。
白と黒を交わらせれば灰色になる。

だが、それは決して妥協を重ねる無様な〝生きざま〟ではないと思う。
思考停止することなく、あえてグレーゾーンのなかで自主自立を目指す〝生きざま〟を、白山夫婦は選んだのである。

語り継ぐ者


白山洋光さんは佐藤忠吉さんに同志と言われたそうだ。
忠吉さんは1920年生まれ。現在、95歳。日本の有機農業の先駆けである。
戦前戦中戦後の長い時を経て、白山さんに自分の思想を繋ぐ可能性を見た。

雲南ブランドサイトより
佐藤忠吉さんや奥出雲の先達たちは、檄を飛ばす。
シラヤマ、イケ~! 恥ずかしがるな。時が来てしまっている。俺たちがやったことをお前が伝えないで、誰が伝えるのだ。だからシラヤマ、いつかどこかの国に削ぎ落とされた牙、刀、ちょんまげを、お前、もう一度取り戻せ! それを取り戻して、次にバトンタッチしろ。お前が背負って生きるだけではなく。その魂を子供を産む女性たちに継いでいけ!
出雲の国つ神たちは、白い山から降りてくる者を待ちわびていた。
同志なのだ。その昔、もののけ姫のいた森で「たたり神」と闘った同志なのか?

だから、白山さんは「しまねU・Iターンフェア」などのメディア露出を始めた。
おかげで、僕は「自然と交わる農」の語り部、いやシャーマンとも言うべき人に巡りあうことができた。

シラヤマ・ライブ空間、すなわち田樂荘の囲炉裏端に身を置いていると、ときどき、白山さんに何かが降りていると感じることもあった。パチパチと薪がはぜる合間に。

アシタカとサン、木村秋則さん、河名秀郎さん、佐藤忠吉さん……。

様々な志が、白山洋光さんの口から飛び出してくる。時にはべらんめえ口調で、時には出雲弁で。
シャーマンは、本源の世界の言葉を通訳するのも仕事である。
そして、シャーマンは言った。
「フミメイさんも、みんなに伝えてください!」

僕、フミメイが、「もののけ姫アフターストーリー」をどこまで書けるのかは分からない。でも、聞いてしまった。コンテキスターは書くしかない。僕は僕にできることしかできない。


このようにして、白山洋光さんと里香さんは、田樂荘にたどり着いた。
2012年6月、田樂荘で「自主独立農民」の同志となる。

その「丁寧な暮らし」の食を支えるのがイセヒカリである。
そろそろ結界の中から外に出よう。


風の谷のイセヒカリ


田樂荘を出て、西南に走る。
山なのに鯛という名の「鯛乃巣山」から流れ出る水とともにイセヒカリがいた。
「ここは風の谷です。ハデ干しした稲を充分に乾かせてくれる風が吹きます」と白山さん。
源流掛け流し、「空田(そらだ)」のイセヒカリである。


この田んぼより上に人家はない。一番奥で山に近い田んぼを出雲では「空田」という。
僕は「天空田んぼ!」と叫んでしまった。

ここのイセヒカリは囲われている。他の稲とは交雑しない。ゆえに種籾になることができるそうだ。

天空田んぼは白山洋光・里香さんと渡部悦義(わたなべえつよし)さんがつくっている。
悦義さんは奥出雲の骨太百姓だ。仁多米つくりの大御所として洋光さんを受け入れた。

悦ちゃんはイセヒカリの立ち姿を見て、すぐに惚れ込んでしまったという。
「立ち姿がりんとしちょう、軸がふとうてたくましい。こげな稲なら安心だわね」

仁多米コシヒカリで全国的に名を売っている悦ちゃんは、自分の田んぼの一部をイセヒカリに切り替えると同時に、風の谷のイセヒカリを慈しみ始めた。


イセヒカリは、平成元年(1989年)に伊勢神宮神田の西八号田んぼで発見されたコシヒカリの突然変異である。
収量が多い。食味がいい。酒米になる。病害虫に強い。そして、倒伏しにくい。
つまり、自然農には最適な米ということになる。

白山さんもメンバーである「出雲イセヒカリ会」では、限られた百姓だけにイセヒカリの種籾をシェアしている。肥料・農薬・除草剤は使わない。そして、そこにX=志があること。


この日、天空田んぼは一部でひび割れが見えていた。白山夫妻は水取り口に走る。

そうだ、僕の取材なんかどうでもいい。
イセヒカリに水を。旨き水を。奥出雲の山川草木と繋がっているオーガニックな水を!


種籾から白い花を咲かせ穂を垂れてハデ干しされる。
奥出雲の谷を渡る風で旨味をインプットされたイセヒカリは田樂荘のご馳走になる。


さらに、イセヒカリは磨かれて醸されて酒になる。縁(えにし)を悦ぶ酒になる。
自然酒「悦びの縁」! 


「奥出雲 仁多自然農法米 原種 イセヒカリ 2号種籾使用 鯛巣山系 湧水 神穴水使用」

「にごり酒生原酒」には、こんなキャッチフレーズがついていた。ボディコピーは以下。

「奥出雲仁多にて自然栽培で育ったイセヒカリを、昔ながらのキモト造りで醸しました。自然界の微生物の神秘的なはたらきと、蔵に住み着く酵母の発酵活動を見守ったお酒です。たくさんのご縁が繋がるよう思いを込めました」

そして、ラベルを書いたのは渡部悦義さんの思いを受け止めた白山洋光さんである。


僕はかつてこんな酒を飲んだことがない。結界の中のシラヤマ・ライブは、しゅわしゅわする悦びの酒で盛り上がったのだ。


おっと、また結界の中に戻ってはいけない。風の谷の話を続けよう。

風の谷のイセヒカリはマコモに守られている。

マコモは『もののけ姫』よりもずっと古い時代から栽培されてきた稲科の植物である。出雲大社では、毎年、夏の初めに「真菰神事」が執り行われるほど霊性が強い。

「守られている」というのは霊性だけの話ではない。
マコモを田んぼへの取水口に植えると、水温が2度から3度ほど高くなるのだ。天空田んぼのような冷たい源流を掛け流すところでは、マコモを通すと優しい水になる。
白山さんが水口を開けると、まずはマコモが待っている。主の背の丈に合わせたようなマコモ。


さらに、ここのイセヒカリは人と自然のオーガニックな関係性でも守られている。
除草剤も農薬も化学肥料も抜けて自然栽培に最適化された土壌。
最上流の田んぼならではの源流掛け流し。
ハデ干しすれば、風が吹き抜けてくれる。

そして何よりも、この国の大本、自ずからあった自然(じねん)を守りぬくという耕作者の志が風の谷のイセヒカリを守っている。


だから、不思議なことが起きる。
天空田んぼに猪が入ったことがあるという。もちろん実った米を喰らう。だが、稲は倒さなかった。彼は米だけをしごいて食べた……。
「乙事主(おっことぬし)だ!」と僕は思う。『もののけ姫』に登場する猪神だ。

その後、奥出雲で大きな猪が捕れた。とびきりうまい猪だったという。猟師は一番おいしい部位の肉を田樂荘に届けた。「これは白山くんの米を食った猪だわね」と言って。
夫婦はありがたくいただいた。

米が猪に化けた。もののけ姫アフターストーリー!

タタラと田んぼ


『もののけ姫』で、山犬の娘サンが命がけで闘うのはタタラ場のボスである。
国つ神のテリトリー、島根県の東部では古来よりタタラ製鉄が盛んだった。宮崎駿がロケハンした「菅谷(すがや)たたら」の高殿は、鯛乃巣山を挟んで、風の谷の反対側に位置する。


もののけ姫とタタラは対立していたが、奥出雲のタタラと田んぼは共生をしていた。
いや、タタラが豊穣な農地を生んだというのが正確な言い方だろう。

「悦びの縁」という酒をつくるためには、「神穴水(かんなすい)」を使用した。
同じく、「かんな」と発音するものに「鉄穴」がある。
仁多米を産み出す棚田は「鉄穴流し(かんなながし)」跡を利用している。

シラヤマ・ライブで聞いてみよう。

「もののけ姫のタタラの舞台が奥出雲です。風の谷の棚田も上から鉄穴流しといって、山を削って土砂を流して、砂鉄を取った跡地。鉄砲水を流して、どーんと山を削って、平たくする。そこに落とし込んだ水から泥鰌すくいをして砂鉄を取る。その跡を棚田にしたわけです。
崩した山の土のミネラルをそのまま肥やしに使おうじゃないかってことで、棚田をつくったそうです。風化花崗岩は鉄分が豊富だから、おいしいお米が取れるようになる。
鉄穴流しで自然破壊して地下資源を取った後に、人が住んで生きてお米をつくっている。ここは世界でも希なところです。自然破壊を逆手にとって共生した。もののけ姫を見て憧れた土地がここです。
現在の奥出雲の情況が、わたしにとっては、ある種、理想の地になった。水が清らかで神話と歴史があって文化があり、日本の原風景とアイデンティティが残ったところ……」

「鉄穴流し」©奥出雲町教育委員会
そういえば、有吉佐和子の小説で描かれた「出雲の阿国(おくに)」は、タタラに関わる両親を持つ娘だった、とコンテキスターは思い出す。

歌舞伎の創始者、阿国は斐伊川が流れる古里を出て踊り続けた。21年間、町で踊り、失うものも多かった阿国。最期は、自分が生まれる関係性をつくったタタラ場の火を見て、生命を全うする。


タタラの火はパッションである。踊りつづける熱源。風を送ればモノを産み出す。

洋光さんはもの静かだが、胸の深いところで「燃えるX」の火を宿している。その火には鉄鍋とブルースがよく似合う。


オーガニックコットン


白山家の衣を支えようとしているのはオーガニックコットンだ。

奥出雲のオーガニックコットンプロジェクトは、まだ始まったばかりである。
プロダクトの数は少ない。それでも志は高い。

「これもいろんなご縁で、オーガニックコットンを栽培しようじゃないか、というアイデアが出まして、奥出雲オーガニックコットンプロジェクトがスタートしました。わたしは事務局長をやらせていただいてます。
おかげさまで、こういうタオルを製造することができました。仲間とか社長に恵まれまして、このタオル販売も生業にしようとしています。
わずかまだ5%、この絣染めの柄の部分だけが私たちが育てたコットンで、あと95%はウガンダとかアメリカの世界認証をとった綿を使わないとみなさんのお手元に届けることはできません。ほんとにわずかしかとれていない。
それでも5%というのは日本初、最高値なんです。それくらいオーガニックコットンの栽培者はいないんです」


未知の道に進むこともエックスである。


オーガニックな汗には、手作りの綿を織りこんだ手触りのいいタオルがよくなじむ。
僕も愛用している。白山さんほど汗はかかないが。
世界中の「半農半X者」が一枚一枚表情のちがうオーガニックタオルを首に巻く姿を想像してみる。
とても楽しい気分になる。


4反の綿畑も見せてもらう。
一箇所でこれだけ広いコットンフィールドは、日本では滅多にないという。
朝、白く咲いて、夕、ピンクになる綿の花。やがて、それはコットンボールになる。


ただし、遅霜の降りることがある奥出雲で綿を栽培するのは困難である。
また自家採種を3年繰り返した奥出雲コットンは原種還りを起こして小さくなってきた。
連作障害が起きるのかもしれない。


横浜で、奥出雲のオーガニックコットンを志縁する「天衣無縫」の社長は長いスパンで考えようと言ってくれたそうである。
タオルからTシャツ、寝具へとオーガニックコットンの産み出すものは、この先、どんどん気持ちよくなっていくのだろう。


(オーガニックコットンにできること)
原料の産地や栽培方法を知ること。
それは、地方の風土の豊かさと、それに反する厳しい現状を知ること。
そして、環境に優しく、生き物を育む農業を知ること。
作る人の思いと、使う人の喜びをつなぐこと、
それは、都市と地方、消費と生産を結びつけること。
つながりが見えてくると、選ぶものや
ライフスタイルも変わるかもしれない。
作る人達や地域も元気になるかもしれない。
そこにはライフスタイルとしてのオーガニックの姿が見えてきます。
オーガニックコットンにできること。
奥出雲での活動を通して、私たちは未来の形を考え続けます。 
(プロジェクトメンバーからのメッセージ)
奥出雲の空も、その志を言祝ぐように、エックスを形づくった……。


半農半オーガニック・プレイヤー


さて、白山型衣食住の文脈をあらためて俯瞰してみよう。
衣はオーガニックコットン、食はイセヒカリ、住は田樂荘。

「だらくそう」については、まだ書きたいことがある。「だら」という発音は出雲弁に接したことがある人なら、感じるものがあるだろう。

「だら!」は「アホ!」である。一部の関西人には誉め言葉になっている「アホ!」である。「くそ」は説明不要だろう。また「だらくそう」と言う言葉は堕落僧もイメージしているそうだ。

田樂荘を僕は結界と言った。そこはアホくさくなるほど次元が違う空間である。

囲炉裏でイセヒカリが朝餉の湯気をあげる時間帯になっても、ここちよい陰に包まれている。
薪がはぜる音の合間に、陽の世界からは蝉の声が聞こえてくる。


そして、時間の感覚も異次元だった。
田樂荘でシラヤマ・ライブを体感した僕は、里香さんに「もう午前3時です」と言われるまで時間を忘れていた。
そして、家の中にも張られた結界で眠る。


目覚めて部屋を見る。額がある。「則天去私」とある。
築200年以上と伝わる古民家のかつての持ち主が掲げていたものだという。


夏目漱石の「則天去私」は、塩見直紀さんも好んでいる言葉である。
まずは謙虚になって、自分の天命、ミッションが何かを考えること。
天地に身をまかせ、我執を捨て去る生き方。

その天地には機がある。機とはからくり、しかけ。自然界にはものごとが調和するための摂理が自ずからある。「天地有機」という。中国の古語である。

日本では「天地有機」から「有機農業」という言葉が生まれた。
そのため、「オーガニック」の意味が「有機質肥料投入農業」という狭い意味のみで使われることがある。誤解を招く原因となった。

白山さんの話には「オーガニック!」という言葉が多用される。

「自分が先人のおかげで生まれて、今自分がやっていることが未来に繋がる。どこまで邪魔なことをしないか、どこまで余計なことをしないか、だけど最低限のことは繋いでいく……。
生まれた以上、いろんな人のおかげ、関わり、ご縁で生きている。
他人とどう共生するか、それから自分が生きていく舞台である自然とどう共生するか、この共生の繋がりに意識して向き合うこと……。
なにかに生かされて循環のサイクルが始まる、その瞬間をいかに的確に適時に感じとれるかを修行しつづける! 
それがわたしの目指すオーガニックな生き方です」

そうです、半農半X的生き方も「自然と他人へのリスペクト」から始まります、と僕はシラヤマ・ライブに拍手する。

オーガニックとは「全体的つながり」「全体と部分が統一性と関連性をもっていること」。
半農半X的にいうならば「ひとつひとつがX(クロス)する全体」である。

「このオーガニックな生き方と暮らしを〝衣食住〟として見つめ直す、それが私たちのエックスです。
だからエックスでお金もうけをしようとか、エックスでただ飲食店をやっていればいいとか思わないんです。
最後はお金の問題じゃない。お金や地位や名誉の問題ではなく、ましてや自分ひとりで完結する問題ではありません。
コンセプトを〝衣食住〟という古い言葉に戻して丁寧な暮らしていきたい。それがわたしたちふたりが田樂荘でやろうとしているオーガニックです!」

納得した。白山洋光は半農半オーガニック・プレイヤーである。
「自然と交わる農」をベースに本来の〝生きざま〟を未来に求めて、祈り遊ぶ。

もののけ姫に「生きろ」と言われたから八百万の神に醸されて生きる。
自主自立を求めるDNAが共生というオーケストラをバックにブルースを唄う。


あのサンたちの生きざまを見てごせ。
あの人たちの生きざまを見てください。

そげしたら、道が見えてくるがあ……。

西の国つ神と東の天つ神。両者の交わる道はあるはずだ、と僕は思う。
両者のグレーゾーンで育つ米、イセヒカリは出雲大社にも伊勢神宮にも奉献された。


そして、国つ神のナビゲータにして交渉人である猿田彦のおわしますところにもオーガニックの塊が届けられたのである。


半農半Xという生き方をする同志たちとともに……。



(あとがき)
いつもいつも長い文脈レポートを読んでいただき、ありがとうございます。
それにしても、つくづく「半農半X」は稼ぎ方ではなく生き方だと思います。
音楽でいうなら、生き方はクラシック、生きさま(濁らない)はロック、生きざまはブルースだそうです。文脈家のクラシックを求める旅はまだ続きます。