2016年2月29日月曜日

不屈の笑顔2016

本日は2月29日。4年に一度しかない日である。
2012年、うるう年の同じ日に書いた文脈レポートがある。

『復興から見えるあなたの未来』

僕が初めて東北の被災地に入ったときのレポートだ。自分で自分を引用する。
2月17日から20日、はじめて被災地に入った。
遅いと言われたら、そうですね、と応えるしかない。311以来、多くの震災情報に接して自分なりのキュレーションをしてきた。
なのに、なかなか被災地に行く踏ん切りがつかなかった。
怖かったのだ、と思う。
行くと引き返すことができない。物理的に帰ってこれない、という意味ではなく心が帰ってこれない、と思っていたのだ。
しかしながら、フミメイと呼ばれ始めて一年以上が経ち、自分なりのアンガージュマン(社会的自己投企)を続けてきた今となって怖がってもしかたがない。
そもそも心の帰る場所ってどこだ?
地球上のどこにあっても僕の心は「ぼんやりした不安」の中で浮遊し続けるしかない。
踏ん切りをつけるなら今だ。
そして被災地に行くなら、やはり水谷孝次さんとともに行きたい。
MERRY SMILE ACTION in 東松島。2月19日。
この現場に行って水谷さんのお手伝いをすることに決めた。 
田中文脈研究所『復興から見えるあなたの未来』2012年2月29日記
もうすぐ、5年目の311が巡ってくる。その前に21年目の1月17日がやって来た。
阪神淡路大震災と僕との関わりは20年目に書いた。

『MERRY IN KOBE 2015~不屈の笑顔』

不屈の笑顔は神戸を忘れない。
水谷孝次さんとMERRY PROJECTは今年も神戸・新長田にやって来た。

MERRY IN KOBE 2016のニュースはメリープロジェクト公式サイトにアップされている。

神戸の希望を未来へ「はーい にっこり!」

その日に開催された「笑顔の同窓会」については、神戸新聞の今泉欣也記者の記事も読める。

神戸新聞「変わらぬ笑顔の同窓会」

僕は今年も、コンテキスターとして見て聞いて感じたことを文脈レポートしておこう。

2年続けて同じ現場に行くと、新長田の笑顔を支える人たちとも顔なじみになってくる。
六間道四丁目商店会の増井宏行さん。今年もお世話になりました。


増井さんは富士屋呉服店の店主だ。呉服屋というのは美学がなければできない、と水谷さんは言う。
増井さんはメリー傘をどうすれば美しく見せられるのかを素早く判断してくれる。商店街の天井からぶら下がる笑顔の傘、「はーい、にっこり」ダンスとマイケル・ジャクソンライブのステージ設営……増井さんの的確な動きには毎年、助けられている。

今年、僕が感動したのは、イベント前日に増井さんがつくった「メリーまとい」だった。現場では「団子三兄弟」という言葉が出ていた。
なんのこっちゃ? 僕は増井さんといっしょにホームセンターに行く。

手早く角材を選ぶ増井さん。3本のメリー傘を差し込む穴の位置を暗算して工作を指示する。超文系の僕には絶対、真似ができない。



増井さんは、夕暮れの中、穴の空いた角材を自転車に乗って運ぶ。長身の増井さんは、それだけで絵になる。



メリー史上初! メリーまといの完成だぜ!




「笑顔の傘はヨコのラインで見ることが多いので、タテのラインをつくってみたかった」と増井さんは笑った。
なるほど、メリーまといは空に向かって笑顔を伸ばした。


「新長田一帯が温かい気持ちで包まれ、今日からまた頑張るキッカケを、みなさんに与えて頂きました。」
冨士屋呉服店の店主は商店会を代表して、締めの挨拶をしてくれた。

とんでもない。こちらが元気をもらったのですよ。
マイケルwith アースデーのパフォーマンスを後ろの方で見ていた商店街のおばあさんがいた。彼女たちは店番をしながら、マイケル・ジャクソンのビートに乗っている。こういう人を見ると僕は元気になってお節介をしたくなる。


メリー傘を持ってもらった。


おばあさんは言う。「この写真、もらえるのですか?」
「はーい、増井さんに送りますよ~!」僕は即座に答える。

メリープロジェクトは、そこで生活を営んでいる人たちのものだ。ソーシャルデザインとはそういうことであろう。

そして、誰もがソーシャルメディアで繋がっているわけでもない。
紙焼き写真を郵便で送るというアナログコミュニケーションの大切さを教えてもらったのは、冒頭に引用した「MERRY SMILE ACTION in 東松島」だった。津波で写真を失った人にとって、自分の写真を手にすることはメリーなのだ。

写真を送ったら、増井宏行さんから手紙をいただいた。丁寧な手描きのものだ。
メリーインコウベでは大変お世話になりまして、誠にありがとうございました。お集まり下さる皆様の瞳が綺麗で、ご一緒させて頂ける事で心が洗われる思いです。決してお上手で云っておりません。写真、早速お届けし喜んで頂きました。私のまゆ毛の太さに家族大爆笑でした―

光栄です、増井さん。ボランティアスタッフを代表してこちらこそ御礼を申し上げます。



MERRY IN KOBE 2016 では「笑顔の同窓会」も開催されていた。
以下は、メリープロジェクト公式サイトに寄稿したものを再構成したものです。(敬称略)


はーい にっこり! 笑顔の同窓会  



今、僕の目の前には2冊の本がある。
『Merry in KOBE』(水谷孝次/神戸新聞総合出版センター/2002年6月28日発行)。
『はーい にっこり!』(メリープロジェクト/女子パウロ会/2015年5月1日発行)。


2016年1月17日、阪神・淡路大震災から21年目の神戸で、この2冊の本は笑顔のタイムラインを繋いだ。「笑顔の同窓会」が開催されたのだ。

始まりは、2001年夏。そして2002年、日韓共催のワールドカップの直前。
水谷孝次は被災地、神戸で市民たちの笑顔を撮影した。そして「あなたにとってメリーとは?」と問いかける。
集まった笑顔とメッセージは『Merry in KOBE』という写真集になった。

巻頭には、骨太だったジャーナリスト、筑紫哲也が神戸と笑顔へのメッセージを寄せている。
「逆境であればあるほど、それを明るく受け止め、笑顔で対するのは人間の知恵のはずである」
「あなたが笑う時、世界もいっしょに笑う」



MERRY PROJECTは水谷孝次の「(絶対的)メリー主義」に支えられている。

「幸せだから笑うのではない。笑うから幸せなのだ」
これは今世紀の始めから笑顔のプロジェクトを主宰している水谷のプリンシプルである。

フランスの哲学者アランが『幸福論』のなかで述べている言葉だ。
アランは、こうも言っている。
「もし不撓不屈のオプティミズムを原則中の原則として自らに課さないならば、すぐに最悪の悲観主義が現実のものとなってしまう」

自身が不屈の笑顔になって世界中の笑顔を撮りつづけてきた水谷のマジックワードが「はーい、にっこり!」である。
カメラを向けられた人たちは、水谷の「はーい、にっこり!」でメリーを開いていく。
中国でもインドネシアでもニューヨークでもケニアでも、さらには神戸でも東北でも……。

2012年2月18日東松島

そして今、『はーい にっこり!』は絵本となった。子供たちが覚えやすい唄とダンスもパッケージになって、メリープロジェクトの笑顔を盛り上げている。

大地震から21年目、撮影から15年目の神戸で笑顔が再会したのは、新長田の神戸桜珈琲。
店頭には「はーい にっこり」のディスプレイがあった。ここでは昨年末から絵本とCDをチャリティ販売している。


僕は「笑顔の同窓会」に立ち会った。
参加者には、『Merry in KOBE』に掲載された笑顔の写真が手渡された。それぞれの笑顔と対面する。
じっと見つめる、あの頃を。そして笑顔がはじける。水谷孝次がその中心にいる。


同窓会というものは長い時を経ても一瞬にして思い出を共有するものだ、と僕は思う。

大震災のそれは喜怒哀楽で綾なされていることだろう。だが、メリープロジェクトが同窓会を催すと、喜びだけが突出して参加者の笑顔が通底する。

自分の笑顔を追体験した人たちは、すぐに参加者同士で、その物語を共有していった。
もちろん母となった人もいる。

「いつまでも笑顔の似合うママになりたい」
ママのメッセージの横で子供が笑っていた。



被災のこと、復興の道筋のこと、未来のこと、様々なことを話しながらのランチタイム。

僕は『Merry in KOBE』に「Welcome to KOBE―Merry Projectの軌跡」を書いた神戸新聞・今泉記者の取材を聞く。彼にとっても同窓会なのだろう。
介護福祉士、幼稚園教諭、そして看護師。同窓会メンバーの選んだ道は方向性が似ていた。

神戸桜珈琲のメリーな計らいで、『はーい にっこり!』のキャラクター、メリーちゃんのパンケーキが登場する。ありがたくいただいて、鉄人広場に移動した。


水谷孝次がカメラを構える。「はーい、にっこり!」と声をかける。15年ぶりの笑顔の撮影会が始まったのだ。
とびきりの笑顔がカメラに納められていく、あの日と同じように。いや、昔とはちょっと違う。撮影を見つめる同窓会メンバーがいる。


そして、母の笑顔に共鳴する子供たちがいた。

僕は2011年以来、多くのメリープロジェクトに参加している。水谷の笑顔撮影会も何度か手伝っている。
それでも、このようにはしゃぐ子供たちの笑顔を見たのは初めてだった。若き日の母の笑顔を持ったのが、それほど嬉しかったのだろうか。


母、息子、娘、そして15年前の写真、四段構えの笑顔を水谷孝次の笑顔が引き出した。
その瞬間に立ち会えたことをメリーに思う。


1月17日は、午前6時のNHKニュースを見てから新長田に来た。

今年の1・17は追悼行事が半減したという。支えるスタッフの高齢化、減少も原因のひとつらしい。さらには「忘却とは忘れ去ることなり」が得意技の国民性とも関わっているのだろう。

21年前の今日、強制終了させられた6434篇の物語はまだ読まれることを望んでいる。僕はそう思う。

時々、思い出してくれる人の心のなかで続きが書かれることを願う登場人物もいるはずだ。死者と生者の関係性は現在進行形だろう。
その関係は戸惑いと混沌を伴うが、時が経つにつれて笑顔のオブラートに包まれた方がいい。

だって、泣いても笑っても21年なら笑った方がメリーだもの。

悲しみや諍いのあるところほど笑顔が必要だ。
水谷孝次の「(絶対的)メリー主義」とはそういうことである。



僕はメリープロジェクトに参加すると少し違った視線で写真を撮ることにしている。プロジェクトを支えるボランティアメンバーにカメラを向ける。

笑顔を支えるためには白鳥が水面下で足をかき続けるように「不断の努力」が必要なのだから。


笑顔の持つ絶対的な力を再確認した1日が終わった。

家に帰った僕のバックパックの中には付箋を貼った『Merry in KOBE』が入っていた。水谷が「笑顔の同窓会」のために持ち歩いていた本をなぜか僕が持って帰ったのだ。

同窓会メンバーの写真に丁寧に貼られた付箋。少し汚れてしまった表紙。


この本には水谷孝次の志と笑顔が詰まっている。
2016年1月17日の夜、僕は少し酔っぱらった……。


メリープロジェクト公式サイト『はーい にっこり!笑顔の同窓会』はここをクリックしてください。

4年に一度の2月29日も、もうすぐ終わる。次は東京オリンピックの年である。
2020年2月29日、僕は何を書くのだろうか……。